今から遡る事約2年前。その時の私は、世界一大好きで一番の私の理解者だった祖父母をほぼ同時期に亡くし、心身共にボロボロでした。その虚しさを補うようにと介護の仕事の合間に食っちゃ寝する毎日でした。そんな生活を送っていたのだから当たり前ですが、月経の度に壮絶な痛みと吐気に襲われました。それでも食べる事、寝る事だけがストレス解消出来る唯一の時間だったのです。だから、体重は増加する一方で自分に自信のかけらも持っていなかったです。そんな私ももちろん、このままじゃいけないことは分かっていたし、祖父母が当時の私を見ても喜ぶどころか安心できるはずがない事は十分理解していました。しかしどうする事も出来ず、分からない為開き直って見て見ないふりしていました。
そんな生活を1年程続けたある日。買い物途中に見つけたカーブス。「私も変われる?変われるのなら変わりたい!続けられるのかな?」気になっても入る勇気が持てずに出入口でウロウロする私をよそに、出て来られたメンバーさんは自然に挨拶を交わしてくれました。人見知りが激しい私はとりあえず会釈が精一杯でした。その姿をコーチが気付き出て来てくれました。今更逃げ出すわけにもいかず、「見学して良いですか?」その一言伝えるだけの話なのですが、私は満面な笑顔のコーチの顔見ていたらその一言の言葉ですら振っ飛んでいきました。それでもずっと待っていてくれたコーチに今では感謝しています。「是非、中で見て行ってください。ずっと前からいてくれましたよね?」のその言葉が私の背中を押してくれました。
そんなこんなで、正直、思い立ったが吉日状態でスタートした私のカーブス生活です。祖父母が今の私を見て少しでも安心出来ていてくれたら嬉しいです。今までの私の人生が運動とは無縁だったから驚いているかもしれないですけどね。
入会当初の私の目標は、不摂生な生活でブクブク状態の身体からとにかく痩せてキレイになりたいでした。だからとりあえず数ヵ月だけでもいいやと思い入会しました。元々、熱しやすく冷めやすい飽きっぽい性格から無理だと思う事には始めから手出しません。その為、継続しなければ結果が出ないダイエットそのものが私には無理な話です。だから先ずは1ヵ月、3ヵ月って自分の中で徐々に伸ばしていってました。
今の私は、結果なんてどうでもいいって思います。計測の度に「現状維持」って答えていてもちゃんとコーチは認めて受け入れてくれています。厳密に言えば増えたり減ったりしている事もあります。けれど、食べて寝る事だけがストレス解消のはけ口だった当時は、質より量で物の美味しさなんて感じていませんでした。ただひたすらに口に物を運んで食べていただけでした。今は美味しいと感じ食べています。動いたからご褒美とばかりに食べ過ぎてしまう事もあるけれど、随分と健康的に美味しさを感じてご飯を食べられるようになりました。
まだまだ始めて1年です。飽きっぽくて人見知りから微妙な反応しか示さない私でも、いつも満面な笑顔で手を振って声掛けしてくれるコーチ達。名前も知らないし、お話した事もないけれど行く度に一緒に頑張っているメンバーさん。同時期に亡くなった事で自分の事考えるきっかけを作ってくれた祖父母。誰一人欠けていても今の私はありません。皆がいたから頑張って自分を変えようと思えた私がいるのです。
介護職という仕事柄、人の最期に立ち会わざる得ない場面も多いです。悲しいですが、祖父母のように立て続けに起こることもあります。その最期を関わった全ての人が後悔で終わる、後悔残す人生であってほしくないです。私自身も人生の最期が後悔なんて嫌です。ご家族の元で生活出来るのがご利用者さんにとっての一番の幸せで良いのです。施設に入っていたとしても一番の居場所は御家族のもと。だから第2のご利用者さんの居場所が施設であり私たちのもとであって欲しいと思い、日々仕事してます。カーブスは今、私にとって普通に行って普通に帰る事が出来る。こんにちはと迎え入れてくれて、お疲れ様でした、またお待ちしてますと帰る場所があるって考えたら、私たちの仕事の大事な部分が重なってるのかなと感じました。そんな場所が一ヵ所でもあれば皆は幸せになれるし、後悔が先に立ってしまう事は減ってくると思います。
介護職を続け施設にい続ける為にはそこで働く私がまずは元気でいないといけないです。元気に仕事して、美味しくご飯を食べ続ける為に初めは短期間だけと思っていたカーブスももう少しだけは続けようと思います。もう少し...もう少し...と続けていき飽きっぽいなんて周りに思わせないように頑張ります。昨日より小さい一歩でもあゆみという名に恥じないように確実に一歩、歩んでいきます。今まで関わった全ての人にありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。