夏が近づくと鮮明に思い出し、脳裏から離れない出来事、それは高校時代に部活を通じて親しくなった親友のことだ。
私達は放課後の帰り道、学校裏のお店でアイスを食べてから自転車で並んで走った。今日の出来事を報告し合って笑い転げながら寄り道して、流行の洋服を見たり、お揃いの物を買ったりと、思いっきり楽しんでいた高校時代だった。いつもの大きな交差点にたどり着くと「また明日ね」と手を振って左右に分かれて帰宅した。
卒業後も頻繁に会ってはおしゃべりして、笑って笑って笑って...。彼女が関西に転居してからはなかなか会えなくなってしまったが、週に何度も長電話したり手紙のやり取りをしたり。(当時、携帯やネットは普及していなかった)19、20歳の頃ゆえ、ぼんやりとした内容ではあったが、夢を語り合ったり、恋愛の話もたくさんした。
お互いに唯一無二の存在で、年を取っても一緒に人生を歩んでいる将来が、当たり前にあると思っていた。
1985年8月12日、日本航空123便墜落。彼女は事故犠牲者となってしまった。突然の未曽有の航空事故に遭遇し、愛する人達とお別れの言葉を交わすことも出来ないまま、遠い遠い場所へ旅立ってしまった。
あの日「日航機が行方不明」という一報から私の運命は急転した。この飛行機に搭乗していることは知らなかったが、何故か胸騒ぎがして食い入るようにニュースを見ていた。そのうちに乗客名が報道され、とうとうカタカナの彼女の名前を画面上で見つけた。私の嫌な予感は現実となってしまった。
2日後、彼女のご家族とともに墜落現場の麓の町に設置された「待機所」に同行した。そこは現場からは離れた市立小学校の体育館で、ご親族や関係者と約1週間ひたすら「待つ」と、時々「確認」が求められた。
「確認」というのは、現場から発見されたご遺体が安置されている別の場所に移動して、確認するという悲しい作業だった。あの時の私にとってこの確認は、怖いことでも気持ちの悪いことでもなく、とにかく彼女を見つけて一緒に故郷に帰らなきゃ!という使命感だけしか頭になかった。
泣きもしない、怯えもしない、そんな様子の私を見ていた方々からは、気丈な娘だとなんだか賞賛された記憶がある。
そして確認された彼女と一行は、沈黙のまま立派な霊柩車を先頭に帰郷した。葬儀にはたくさんの弔問客。その中には懐かしい友人達が大勢いるのに、彼女だけいない。これは悪夢だ、きっとあの笑顔で「ごめーん遅くなってー」とひょっこり帰ってくるはず。そんな悲しい期待を何度もしながら友人達と繰り返し号泣した。
今年で40年目の夏を迎える。私はあれからほぼ毎年、墜落現場(群馬県上野村御巣鷹の尾根)に慰霊登山をしている。ご親族は高齢となりもうご一緒することが出来なくなった。またここ数年でご両親が相次ぎご逝去された。
尾根へ向かう登山道は、地元の方々のご尽力により整備が行き届いているが、山道は急峻で10分も歩けば息がはずみ足腰が痛くなってくる。ペットボトルの水はすぐに少なくなり、汗でTシャツも首にかけたタオルも絞れるほどビショビショになる。少し上っては小休止を繰り返し、息絶え絶えになりながら登っていく。
かつて気丈だと誉められた私も、体力の衰えは隠せない有様となってきている。ふと頭の中で「私はいつまでここを登れるのだろうか?」と疑問がよぎる。
尾根の頂上にたどり着くと、彼女の笑顔と明るい声が迎えてくれる気がする。同時に彼女を含め遭難された520名の尊い御霊が「今年もお疲れさん」と歓迎してくれる気もする。
彼女の名前の書かれた墓標に献花し、季節のフルーツや好物の缶ビールを供えて合掌し一息つく。山の涼風と綺麗な蝶や鳥たちが、疲れた身体を癒してくれる。線香の火が消えるまで、心の中で最近の出来事を親友に語りかけて報告する。
こうして続けていることから、他のご遺族とも不思議なご縁で繋がり、お互いに声を掛け合ったり「来年もまたお会いできるかな」と話したりするようになった。語り尽くせない悲しみや色々な思いを心に、たくさんの苦労を乗り越えて、人里離れたこの山奥に登山を続けている同志なのだ。ご高齢の方は「今年が最後になるかも知れない」とおっしゃることもあり切なくなる。
下山してからは、猛烈な筋肉痛にさいなまれ、足腰を中心に全身の激痛で、1週間位は日常生活がままならなくなるのが常である。
しかし昨年カーブスを始めてから劇的な変化が現れた。おかげさまで筋肉がついてきたのか、痛みが軽く済むようになり、日常生活にさほどの影響がなかった。
カーブスでは丁寧にコーチ達に教えていただき、仲間達とはたわいのないおしゃべりをして「今日も頑張ろう」と声を掛け合っている。
そして今日もささやなか自分の目標を持って取り組み続けている。
人の命は尊い、しかし人生は残念ながら儚いものだと思う。だから人は与えられた1日を一生懸命に生きるのだ!とマシーンを動かしながら思う。この意味のある毎日に改めて気づかせてくれたのがカーブスと仲間達。
人生とは出会いと別れの繰り返しではあるが、私はカーブスとの出会いに感謝している。ふと立ち寄って通い始めたカーブス。親身になってくださるコーチ達や仲間達と「今日も来られたね」という思いでマシーンに集中する日々。
皆さん各々の心には、もしかしたらご苦労やお悩みを抱えていらっしゃるのかも知れない。でもカーブスで同じ時間と空間を共有し、額に汗するひとときが日常にあることは素晴らしい。
私はといえば、これからの人生において、御巣鷹の尾根に1回でも多く登れるようにという目標がはっきり見えてきた今日この頃である。