主人の転勤で都会の団地から、人口4万足らずの地方に住んで、大好きな自動車暮し43年。60代後半になり、重い物を持って歩けないとか、腰が痛くて髪を洗うのにも大変、和式トイレでは立ち上るのにひと苦労、長く歩き続けられなくなって来た。ひと休みすると又歩ける。それで精密検査の結果、"脊椎間狭窄症"と診断された。それと"すべり症"があり手術するなら、ふたつだと言われた。
 家族会議では、先行き年齢を重ねてからの手術をするよりは、今若いうちにした方が良いのではとの意見だったが、私は手術だけは絶対に嫌だったので、毎日1錠の痛み止めを飲む治療法を選んだ。毎月1ヶ月分の薬をもらいに病院に行く生活が続いた。
 その頃歩いても行ける処に、カーブス店がオープンとのキャンペーンに出逢った。私は即入会を決心!内心こんな施設を心待ちしていたから。願いが叶った72歳の秋でした。入会はしたけれど始めは余り真面目ではなかった。仕事の帰りに行くつもりが上靴を忘れる事が多くて、入口で気がついて回れ右して帰ったり。やっと月12回目標で、仕事中の昼休みに通い始めた。ある時いつもの様に薬をもらいに病院へ行くと、今度から予約制になったから出直すように言われた。余ってる薬もあるしと予約を取らずにいた。先生もいつも"この薬は余り飲み続けない方が良いんだけど"と言いつつ出してくれていたから。薬がなくなり飲まない日が続いても痛みもない事に気付いた。もう飲まなくても大丈夫と!確信した。
 カーブスのお陰で腰の周りに筋肉が付いたからだと。平気で畑仕事も少々、庭仕事も昔程ではないけれど出来ている。自転車も膝が痛くて片足で漕いでる時もあったが、いつの間にか普通に漕げている。以前はゆるい坂道でも降りて押して歩いていた。我が家までの長いゆるい坂道はお隣りさんの手前で降りるのが習慣になっていた昔。カーブスへ行き出してから意識して降りずに頑張る、そこだけはギア切換えてペダルを踏む。そこからはギアを並に戻して漕ぐ、漕ぐ。車に出逢わなければ家まで降りずに頑張る。乗り切れた日は嬉しい。ママチャリも3台目、これが最後と思う自転車も迷わず脚を鍛える為に、普通車を買った。3段ギアの切換えも1番楽なのは極力使わないように心がけている。これで大分鍛えられていると思います。カーブスへ行くか休むかは自分との戦い、迷って店のドアを開けた時、明るいコーチたちの声に迎えられて、やはり来て良かったと思い、汗ばんで店を出る時は気分爽快、現状意持出来ているかなと。
 最近、都会に住む50代の娘もカーブスに通い出したが、仕事が忙しく思うように通えていない様子ですが、お家カーブスで頑張ってるみたいです。共通のカーブス話で会話が増えています。
 プロティンも飲み始めた頃は、飲み忘れが多くて余りがちだった。ずーっとブルーベリーを牛乳で溶かして飲んでいる。そのお陰か眼鏡なしで新聞もケータイも普通に読めている。勤めている時は昼休みにカーブスへ行き、職場に戻ってからプロティンを飲んでいた。午後が眠くなり本当につらかった。そんな生活を80歳まで、退職後は2年間のシルバー大学に通い、卒業後もフォークダンス・歌おう会・マジック・絵手紙・ウオーキング・グランドゴルフ等の部活動が続いている。
 ボランティア活動では老人給食のお弁当作り。花の会では25年公園や駅前の花の植え替えや手入れをしてきた。そんな訳で未広店の前の荒れた8つのプランター、放っておけない花好きの友達もちろんメンバーで、年2回の花の植え替え水やりと手入れをしてきた。元気で好きな事が出来ているのも、カーブスで13年鍛えてきたお陰、健康こそ宝もの、老後の天国を味わっています。