あれは私が59歳の夏の事です。暑くてタンクトップを着ていました。丁度家に来た知人に「肥えたんじゃない」えー、その一言がとてもショックでした。小柄だけど細身、と自負しており、でも心当たりもあったのです。体重も2、3kg増え肩の丸みも目立ち、でも何か見て見ぬ振りをしていたのです。
 それと知人から言われる前の年の事です。会社勤務をしていた私は、2年後の定年退職を控え、先輩方も祝い見送り、今度は自分の番だと日々頑張ってました。ところが世相的に急に不況が押し寄せ、当社も不況の波に呑まれる事に。年齢的に社員から派遣へ移籍、そして首切りへ、私もその中の1人になりました。退職を余儀なくされても、そう頭と体は割り切れません。35歳からパート、準社員、交替番と同じ会社に勤務。就寝中や自宅のマッサージチェアでマッサージ中等、ハッとしてガバッーと起き、今何時?遅刻?の現象に悩まされました。数年は続きましたが、早朝4時起きや夜10時までの仕事はしなくて良くなり、少しずつ体は休めて行けた様です。
 でも「肥えたんじゃない」がショックと言いながら何かをする訳でもなく、家事労働、畑の草取り等の日々です。そんな時、娘達も気が付いていたんでしょうか。「お母さん、カーブスって運動の広告があるよ」って教えてくれました。何でも迷いネガティブな性格、中々行動に移せません。何度も勧め、「行くだけでも行ってみたら、嫌なら止めればいいけん」と後押し、そこでやっと重い腰を上げたのでした。
 思い切ってカーブスの門を叩いたのは、平成22年11月59歳8ヶ月の事です。ドアを開けると「おはようございます」の女性の明るい大きな声、思わず私の頬も緩みました。中に入り説明を受け、カーブスの場所が自宅から近いのと、買い物する所が近い(カーブスに)のもあり入会を決めました。コーチからアドバイスを受け、マシンでの運動が始まりました。その頃はまだ筋肉、筋トレ、ストレッチ等々良く理解してなかった様に思います。ただ通う、そして早くマシンに慣れる、その一心だったのです。
 そして3ヶ月が過ぎた頃です。我が家をアクシデントが襲いました。夫は林業で有限会社を設立、18年位経ち、かねてから腰病に悩まされていて、思い切って手術を受けたのです。平成23年2月23日、腰の手術を受けた結果、医療過誤となり生涯背負わなければならなくなった不具合、障害との生活を余儀なくされたのです。目の前が真っ暗。2人共後悔の日々、私は2週間程食事が通らず、体重も減少。あーこれではいけない、本人が一番辛いはず、私が頑張らんとー。我が身にカツ!を入れました。病院は片道1時間余の所にあり、いつもは近場の運転しかなくて、方向音痴も共い、交通量の多い熊本市内の運転は厳しいものがありました。目印を付け、あと何分、何分、と自分を奮い立たせていたのです。
 そんな時でもカーブスを止めよう、一時ストップしよう等、全然思いませんでした。10時にカーブスへ入り、運動が終り病院へと面会に行くのでした。カーブス↔病院、それを6ヶ月間続けました。しかし、その間も夫の手術2ヶ月後には私の母が急死しました。高齢(93)でしたが、元気で夫の心配(手術の事は知らせてません)をする程でした。私は一人娘で母との同居を決く受け入れて20年近く、その後2年程施設に入居してたのです。頼れるのは夫だけ、しかし病院からは1泊2泊の外出許可しか出ず、葬儀後病院へと帰院したのです。心残りだったろうと、又私も不安だらけでした。寺参り他済ませ少し落ち着いたら、カーブス、病院を再会したのです。なぜかカーブスに通う事で、見えない力が働いていたのでしょうか。
 6ヶ月後に夫は退院、それは回復したのではなく症状は持ち帰り状態です。2人の未知への生活が始まったのです。健康体から障害と戦う日々、痛みは常々、薬で効くものではありません。我慢強い夫でも唸ってるのを聞くと居たたまれなくなるのです。温厚で綺麗好き、それなのにオムツ着用、それだけでも抵抗があったでしょう。尿は自己導入、菌が入れば痛みが出るそうで、失敗はこれまでに1回しかなく、矛盾があるけど器用な夫で良かったと思ったのです。歳月が経てば慣れる事もあるかもだけど、どうにも出来ないのが激痛です。
 そんな時、やはりカーブスの事言い出せないのです。そして入会から14年4ヶ月、74歳です。自分の歳に驚き、カーブスがこんなに続いているのです。それにも感動です。筋肉筋トレ、たんぱく質 ストレッチ等々段々と分かって来て、気を付ける生活をしてます。食品を購入する時は裏面を見て、脂肪や糖等少ないのにします。夕食後は就寝まで何も食べない(これは独身の時から)、体重は独身の時を維持、有酸素運動は犬との散歩です。カーブス後は腹筋もします。甘い物は好物でこれが難問です。糖の数値が高めでもあり、ショートケーキだったらその半分、饅頭、だんご類も半分です。もう1つの悩みは、体脂肪が高い事です。計測の時話を聞いてもらっているのです。
 毎日の生活で思う事は、爆弾を抱えて暮らしてる様なもの。夫の体がいつ急変するか分からないからです。私より9ヶ月も若いのですが、体の中身はガタガタです。林業で培かわれた筋肉は見る影も有りません。2、30分の散歩はするけど、ストレッチとか勧めても腰が痛くて出来ないと拒否です。入院生活の中で、血糖値が急上昇し本人は反対したのですが、インスリンを打たれその後必須となってしまったのです。血糖値が下がった時の対応も大変です。病気のデパートみたいになったと嘆く事も。私は生きてるだけでも良い、と励ますけど、本人は長生きはしたくないと告げます。やはり私が元気で居なければ、と切に思うのです。支える為にも筋肉をつけ、明るい気持ちで暮らせる様、カーブスに通い、そこで話が出来る人も増えそれも楽しみです。80代、90代目指して頑張ろう。