人生で初めてマラソン大会に出場した。昨年12月のことだ。私は全くもって体力に自信がない。高校生のときの体力テストで、同学年の女子の中でなんと最下位になってしまった。私は極度の運動音痴であり、人並みの体力さえない。『マラソン』という文字を見るのも嫌なほどだった。
「どうして出たの?」と訊かれたら、カーブスを1年以上続けたことに、目に見える成果が欲しいと思ったからかもしれない。出場を決めたことをコーチに伝えたとき、「大丈夫?」ではなく「すごいですね!」と笑顔で励ましてくれた。あるコーチは、顔を合わせるたびに「来月でしたっけ?」「そろそろ本番ですね」と声をかけ続けてくれた。単なる一度の会話で終わらせず、ずっと気にかけてくれたのが嬉しかった。
私が出場を決めたのは、一般的な個人競技のマラソンではなく、リレーマラソン。タスキをつなげながら交代で走り続け、3時間経過したら終了、というもの。
まずは知り合いから仲間を募った。その結果、私の夫と、兼ねてから応援しているサッカークラブのサポーター仲間3名が手を挙げてくれた!各々会場から遠方に住んでいるにも関わらず、だ。私を含め計5名。同じクラブを愛する仲間だ。役者は揃った。それから、お互いのモチベーションのため、トレーニングの状況を報告し合うようにしていた。
ただ、夏の間は暑さにうんざりしてしまった。練習しようにも、日が出てる間なんかとても走れたもんじゃない。蒸し風呂にでも入ったような姿になりながら、夜の河川敷を走ったこともあった。今でもあの道を通ると「私、頑張ってたなぁ」と思う。
季節が秋・冬に移り変わるとずいぶん楽になったので、なるべく毎日走るようにしていた。だんだんと長い距離が走れるようになってきた。いつも歩いて通る道は、走るとあっという間に行き来できて、それがちょっと楽しかった。
そして本番数日前、兼ねてから戦績が芳しくなかった愛するクラブのリーグ降格が決定。言うまでもなくかなり傷心する。それでも、「前に進まなければ」という決意を新たにした。
本番直前になると、メンバーの不調が明るみに出る。1名は前日までの体調不良を申告。また1名は腰の不安を申告。そして、夫はくるぶしに湿布を貼っていた。決して無理をせず、状態の悪化だけは避けるようにお願いした。いざとなったら私が長く走ろうと思っていたがそれは杞憂で、当日は各々与えられた距離を走り切ってくれた。
不安も多いまま迎えた本番当日は、12月というのに寒さを感じないほどの快晴だった。受付を済ませると、人がまばらだった会場に、場慣れしていそうな参加者が続々と増えていった。運動ができない私はやや肩身が狭い。しばらくすると、私の周りに馴染みの顔が増えていった。頼もしい面々である。全員揃ったので、円陣を組むことにした。言葉を選んで話した。
「今日は遠くからから来てくれて本当に、本当にありがとうございます」
「ホントだよ!」
ひとりが冗談で場を和ませた。
「クラブはこんなことになってしまったけれど、嬉しいときより、つらいときに一緒にいてくれるみなさんこそが、私の本当の友達だと思っています」
勝って歓喜に沸いた思い出の方が少ないかもしれない。あるときは、試合終了間際に目の前で失点し逆転負けした。そんなときに一緒に涙を飲んだ仲だ。ひとりじゃないという事実だけで、どれだけ心が救われているか、言葉で表しきれなかった。
「とにかく怪我と体調にだけ気をつけて走りましょう。いくぞ!」
「おーっ!」
第一走者は夫にお願いした。
他の走者数十人もスタート地点付近に集まる。夫は群の後ろの方にスタンバイ。司会者の音頭で、10からカウントダウンがはじまった。盛り上がりは最高潮に、みんなの「ゼロ〜!」の声でスタートした。
夫が見えなくなったころ、私のよく知る女性が手を振りながらこちらに歩いてきた。カーブスの友達が応援に駆けつけてくれたのだ。
「大変そうね!」
労りの言葉と、他愛もない言葉をしばらく交わして別れた。その時私はかなり緊張していたので、自分の番が来るまでに少し落ち着くことができた。彼女の笑顔のおかげだ。
夫は顔を真っ赤にして10分ほどで戻ってきた。次の走者にバトンタッチすると疲れのあまり倒れこんでしまった。その光景に思わず吹き出してしまったが、同時に行く先が不安になってきた。あと2時間50分あるのに。
そのうち、私の前の走者が見えてきたのでレーンに待機した。緊張でこわばる手でタスキを受け、走り出した。その時点で、筆者の少し前をシニアの男性が走っていた。全く速く走れない私にとってはちょうどいいペースメーカーだったので、彼の後をついて行くことにした。
「ナイスランです!」
すれ違ったランナーの女性に声をかけられた。よく見ると、コース内ですれ違う人全員に言っていた。結構なスピードで走ってるのに、よくできるなあ。社交辞令だろうが、ランナーだと認めてもらえたようで、嬉しかった。自分のことで精一杯で挨拶を返せなかったのが1つの後悔だ。
このマラソンは地域のイベントとして盛り上がっていた。道中様々な人の「がんばれ!」を受けながら、15分かけて出発地点に戻ってきた。身体はホカホカだ。レーンには次にタスキを渡す夫が待っていた。夫にタスキを渡す側でよかったな、と思った。
後から、夫撮影の動画を見ると、走っている私があまりに遅くて自分で笑ってしまった。それでも、自分のがんばりを認められないって悲しいこと。トラックに居るときは歩かなかったし、止まらなかった。少し前の私ならできなかったことだ。動画は見なかったことにして、積み上げてきたことを肯定的に思っている。
私は自分の番を3回走った。終了時刻が近づいてくると、メンバーが残りの動向を気にしはじめた。
「1人あと1周くらい?」
タイムキーパーがいて頼もしい。彼は日頃からジョギングしているので、自分のタイムもきちんと計測していた。その彼が出番で走っているところで時間になり、マラソンは終了した。
「ナイスラン!」
労いの言葉をかけ合いながら、彼に水を手渡した。みんなとの距離も近くなったように思う。
大人になってから新しくできる友達って、すごく希少。この歳で、サッカーの試合のたびに1年に何度も会える友達がいることに感謝しかない。
多くの友人って、「会おう会おう」って言って全然会わないものだから。そのうえ、遠くに住んでいるのに、何の見返りもないのに、「やろう」と賛同してくれた人が3名もいたのは、本当に奇跡のようなことだと思っている。閉会式に向かうとき、西陽に照らされた彼らが、この上なく頼もしく見えた。歳も性別も住んでいるところもそれぞれ。けれども、紛れもなく彼らは私の大切な友達だ。
カーブスを始めて、体力をつくり、マラソンという目標に向けて動くことができた。カーブスを続けてよかったこと、それは紛れもなく彼らと友達になれたことだ。胸を張って言える。
あれだけ嫌いだったマラソン。やってみると案の定過酷だった。でも、このメンバーとならまたやりたいと思っている。
後日、大会中の写真をコーチに見せると、自分のことのように喜んでくれた。マラソンは終わったが、生涯を通して体力づくりに終わりはない。これからも、カーブスと共に人生を駆け抜けていきたい。
入賞
「情熱は揺るぎなく」
カーブスって
どんな運動?