「マシーンと板が交互に丸く置かれていて、24人が30秒ごとに進んでいくの」
「何それ?」
「カーブスっていう、運動するところ。今、お試しやっているけど行ってみる?」
「おもしろそう、行く、行く」
20年前(正確には、19年と4か月)、カーブスに入ったというフラ仲間の話で、初めて、その存在を知った。当時、筋トレはおろか、たんぱく質の重要性など全く考えたこともなかった私は、ただただ、フラ仲間と、好奇心のみで、その扉を開けた。
ひと通りの説明と、実際にマシーンを体験した。カーブスの油圧式マシーンは、動作の往復で、というところが他にはないように感じられた。その往復ともに負荷がかかるため、円を2周で25分と、ストレッチ5分の、計30分の短時間で、効果があるというところが気に入った。
その時やっていたのは、フラダンスのみ、こんな運動をするのもいいかも、くらいの軽い気持ちで始めた。カーブスの何たるかを知っていくのは、入ってからのことである。
しばらくして、私が入ったカーブス田無のトイレの壁に、創業者の顔写真と思いが綴られていた。20年も前なので、定かではないが、子どものころ、スクールバスが迎えに来たのに、お母さんは起きてこなかった。生活習慣病から命を救うためには何か運動が必要だと書かれていたように記憶している。
それからだ。筋トレは代謝を上げ、有酸素運動で心肺を強くし、脂肪を燃やす。ストレッチで、使った筋肉をほぐすと効果が19パーセント上がる。体のすべてを作る材料はたんぱく質、水は血流をよくするなど、多岐にわたる、さまざまな情報を知るようになった。
そして、カーブスは、私の生活サイクルに、見事にはまった。何と言っても30分という時間である。自分の最寄り駅にあるカーブスは、用事、習い事、仕事のあるときなど、先でも、帰りでも、運動することができた。仕事が休みの日は、自転車を15分走らせ、たいていは午前中に運動をし、買い物をすませ、午後の時間を有効に使えた。それが20年続いた理由だ。しかし、ただ時間が短いから、というだけではない。
私がカーブスを始めて数年が経ったころ、カーブスマガジンという冊子の表紙に、どこかのカーブスのメンバーさんが載っていた。それも100歳!衝撃的だった。自分の力で動かす、カーブスの油圧式マシーンは、強く早い力では負荷がきつくなり、弱い力だとゆるい負荷で運動ができる。だから、カーブス田無にいる小学5年生だろうが、100歳だろうが、同じマシーンで、同じ運動ができるのだ。そして、それは上半身用と下半身用が交互に置かれ、すべて違う形のマシーンが、12台も配備されている。100歳まで全身を動かすことは、なかなか難しいことのように思えるが、カーブスはそれを可能にする。考えるたけで、わくわくしてくる。そして、その冊子を見た日から、私の目標は、筋トレをがんばる!でも、体重を減らしたい!でもなく、100歳になったら冊子の表紙に載る!になった。
カーブスを始めて15年ほどが経ったころ、コロナが流行った。初めは、未知の得体の知れない存在で、町から人が消え、学校は休みになり、仕事の出勤でさえ自分の判断で、ということになった。いつかかるかもしれない病に、初めて、自主的に休んだ。そのうちカーブス自体も一定期間休みになった。あらゆることが自粛となり、外出は仕事と買い物のみになった。それなのに、満員電車には乗っていたのだから、今考えればおかしなことだ。
その頃、150センチの私は、53キロと、過去最高になっていた。健康診断で高血圧に引っかかり、薬を飲むようになった。さらに、コレステロールの値もぎりぎりになり、薬を増やしたくない一心で、とりあえず、それまで15年以上職場で食べていた宅配弁当をやめた。代わりに、発芽玄米のおにぎりひとつ、切った野菜(きゅうり、人参、大根、しょうが、豆まきの豆、塩少々)、スープポットに乾物(ごま、食べる煮干し、桜えび、とろろ昆布、切り昆布、乾燥わかめ、糸かんてん、豆まきの豆)、小さな豆腐ひとパックを食べた。これは、仕事のある昼だけで、あとの朝昼晩は、パンもごはんも、肉も魚も、もちろん、甘いものも普通に食べながら、カーブスにも月に10日から15日行った。筋肉のためには1日おきの筋トレが理想だが、20日近く行くこともあった。
それから3年くらいで、いつのまにか46キロになって、薬も増えていない。ところが、また災難が!上の物を取ろうとして、ソファから足を滑らせ、左手首を骨折した。先生の整復術のおかげで、全く痛みがなく、腕はつっているけれど、足は動かせる。思わず言っていた。
「カーブスは行っていいですか?」
知らないうちに運動習慣が身についていた。
「手術になるかもしれないくらいの骨折だったんですよ。ズレたら、手術になる可能性があります。カーブスより、うちのリハビリに通ってください」
20年で、初めて長期で休んだ。
ギブスが取れた時には、皿1枚洗うにも持ち上げられず、爪切りもひと押しでは爪が切れないくらいに握力は落ちていた。
骨折から2年が経った今では、以前と変わらずに12台、どのマシーンも普通に動かすことができている。普通って特別で素晴らしいことなのだとつくづく感じた。
それでも、時々、今日はさぼろうかなーなんて日もある。でも、扉を開けると、必ず、
「絹江さん、こんにちは!」
コーチの、元気なかけ声が迎えてくれる。
何より、曜日や時間帯によって、顔見知りのメンバーさんの笑顔に会えると、こっちまで笑顔になって、来てよかったと思える。
「雨だけど、家にいてもしかたないから、バスに乗って来たのよ。80だけど」
どこかから、明るいメンバーさんの声が聞こえてくる。
カーブスは、笑顔あふれる人達が、それぞれの思いを持って、一緒にがんばることのできる、そんな素敵な場所なのだ。