カーブスには2012年11月に入会しました。
当時変形性膝関節症で悩んでいた私に、久しぶりに会った旧来の友人がカーブスを勧めてくれました。
彼女はカーブスでコーチをしており、私の脚の状態を見て(コーチをしているくらいですから多分膝が悪くなくても勧めてくれたと思いますが)「カーブス」って言うこんな筋トレがあるよ!と教えてくれました。
私は藁をも掴む思いでカーブスに電話しました。
行ってみると笑顔のコーチが暖かく迎えてくれ楽しくワークアウトできました。

 高校時代、テニスで全国大会に出場したほど若い頃は運動をしており、その後もテニスを楽しんでいたのですが、入会した頃には膝の痛みでテニスもできなくなっていました。
そんな私でしたから運動は苦手ではなかったので、カーブスのワークアウトは簡単でした。
「これで効果あるのかなぁ?」と疑問に思いながらワークアウトを終えると、入会した時期は冬だったのですが、身体がポカポカして帰り道は気持ちいい状態になっていました。
入会当初は毎日のように通い、「コーチよりも回数来てるんじゃない?」と言われる程でした。

 数年経った頃、高校生になった娘が入会し、一緒にトレーニングをしていたのですが、若い娘には響かなかったようで数ヶ月で退会してしまいました。

 私はその後膝痛が悪化し2022年11月に膝骨切り手術を受けました。
手術は無事成功し、術後2ヶ月ぐらいからリハビリも兼ねてカーブスに復帰しました。そのおかげか医師から「同時期に手術をした男性よりも治りが早いようだ」と、お褒め(?)の言葉をいただきました。

 私には子供が3人おり、長男・次男・長女です。
3人とも成人し、それぞれ仕事を持ち日々忙しく暮らしており、また3人兄弟はとても仲が良く、親の私も入り込めないほどでした。
よく周りの人から「3人は本当に仲がいいわねー」と言われてもいました。
私も60歳を過ぎてもありがたい事に仕事があり、みんな元気で楽しく暮らしている事に幸せを感じていました。
特に娘とは友だちのようになり、お互いの休みが合えば色々な所へ行ったり食事を共にしました。
幸せな日々はこの先もずっと続いていくのだろうと思っていましたが、人生の「まさか」の坂が目の前にあったのです。

 一時一緒にカーブスに通った娘が、2024年2月に腎臓がんのステージ4だと告げられました。
がんは治ると言われる時代ですから宣告された時も、娘も私もきっと治って元気になると信じていました。
娘の闘病中もカーブスには週3回通い続けました。
元々子供たちをアテにしていた訳ではありませんが、それまで以上に自分の足で歩く事の大切さを痛感しました。
 娘は病院の治療に加えて、その他の良さそうな民間治療も色々と試みました。
けれどもその甲斐なく、2024年7月4日に娘は天国に旅立っていきました。
病気がわかってからわずか5ヶ月でした。
最期まで強くて優しい娘でした。
今もまだ「ただいまー」と言って帰って来るような気がしています。

「カーブスエッセイ大賞」の受賞作品を毎年読んでいましたが、ご家族を亡くされた方が多く「大変だなぁ、辛いでしょうに」と思っていた自分がまさか当事者になるとは思ってもいませんでした。

 家族のアイドルを亡くして、悲しくて辛くて残された私たちは呆然としてしまいました。
けれども起こった事は仕方ありません。
私の頭の中では「だってしょうがな~いじゃな~い♪」という古い歌が流れて来ます。

 何の宗教にも入っていませんが、娘とはきっとまた会えると信じて、それまで元気に生きていこうと思っています。

 今カーブスに通う道すがら、娘と一緒に入ったカフェの、一緒に食事をした22番テーブルを横目に見ながら、今日も私はカーブスに行きます。
また娘に会う日まで、自分の足で歩けるように。