15分前までしゃべっていた主人が遠いところに旅立ってしまったのは、3年前の春、アネモネだけが芽吹く寒い朝だった。股関節の手術をして3ヶ月だった私は、杖をつきながら、コロナ禍での葬式を必死でとりしきった。10歳年上の夫は、膵臓癌の余命宣告通りの自宅療養の時間を生き、最後までやさしかった。私は葬儀の翌日からカーブスに通った。歩くことがうまくできない私には、カーブスだけが運動で、運動をしている時間は、自分を責めることから逃れることができた。そのおかげもあって、あじさいが咲く頃には杖なしで歩けるようになっていった。
主人が亡くなって寂しかったが、異動で戻ってきた娘や保護猫も一緒に暮らすことになり、それまでよりかえって笑うことは多くなった。コロナも3年目になり、週3日のパートの他に徐々に観光ガイドの仕事が入ってくるようになった。私の生まれ育った武生の町の案内のために勉強し、実際に歩き、準備する。もう足を引きずってなんかいられなかった。また、大河ドラマが紫式部に決まったことで、紫式部公園のガイドの仕事も増えてきた。それなりに充実した日々だった。そんな中、カーブスのコーチは毎日声をかけてくれた。
「朋子さん、もっと速く動かしてみませんか?」
生きていくギアを1段上げよう。そう励ましてくれるような言葉だった。私は自分の思いを整理してみた。62歳、主人が遺してくれたお金を使って、武生の町が元気になることをやってみたい。観光ガイドで案内するだけでなく、武生の町の魅力を発信する側になりたい。色々な手探りを続けている内にいい物件が見つかり、私と友人はまちなかの読書の拠点となる場所を作ることにした。まちなかから本屋がどんどん減っていく全国的現象、武生の町も例外ではなかった。私たちは、子どもから大人まで楽しんで読める絵本を中心とした店を考えた。見た目は普通の商店だが、中庭のある町家で、東西に長い。奥には大正時代の座敷もある。教員から個人事業主に転身。今までの生活とは違い、ひとつひとつ分からないことだらけだったが、いろんな人の助けをもらった。ブックカフェを開店することができたのは、主人の3回忌を終え、水仙が咲き始める頃だった。
店の営業時間が長めで、それまで週5で行っていたカーブスになかなか行けなくなってしまった。また、立ち仕事が多く、少々無理をすることもあり、前から悪かった膝がじんじん痛むようになってきた。ある日の夕方ひどい痛みに襲われ、病院に行くと、手術をした方がよいと告げられた。右足はまっすぐに伸ばすことができず、左足に体重をかけてばかりいた。すると今度は手術した左足の股関節に負担をかけてしまう悪循環。MRIも初めて体験した。ぐっとせまってくるドーム状の機械が、「おまえはもうだめだ、一生足は治らない」と言っているようで、私は歯を食いしばった。開店したばかりの店を、手術で4週間も休むわけにはいかない。8月には1人娘の結婚式だってある。店主催の夏休みの工作教室だってある。ここで負けるわけにはいかない。
痛みがあっても筋トレを続けた方がよいことは、いつものコーチのアナウンスで知っていたので、午後の交代の時間を使ってカーブスに通うことにした。しかし、おそるおそる運動しているので、脈は上がらず、夏でもほとんど汗をかけなかった。体重こそ減ったが、減っているのは筋肉であることはすぐわかった。ちょっとしたことでバランスを崩し、車に乗り込むときも時間がかかった。
毎週定休日には早朝から病院に通い、膝に注射・リハビリ、そしてカーブス。できることは何でもしたが、娘の結婚式では、和服の着付けの間立っていることができなかった。新郎新婦からのお手紙の時もお客様の見送りの時も、椅子を出してもらう始末だった。残念なことはまだ続いた。店を共同経営していくはずだった人と方針の違いが目立つようになってしまったのだ。9月でその人は店を辞めた。痛む足を引きずり、絶望の中でキンモクセイの香りに気づいた。店を始めてから半年しか経っていない。残ってくれたスタッフと、これからのことを一生懸命話し合った。
10月。私は閉店時刻を6時にし、閉店後にカーブスに通うことにした。腕の運動はしっかり。足の運動はできるところまで。痛みがあっても少しずつ筋トレをしていく。ボードでは足踏みすらできないこともあった。「決して無理しないで」とやさしくサポートしてくれるコーチだが、私が手を抜いていると、「ほら、下ろす方もっと早くできますよね」と、めざとく声をかけてくれた。遅い時間に来るメンバーさんはだいたい決まっている。仕事を終え、疲れていても家事に追われていてもカーブスに来る人たち。どの人からも「筋トレしなくっちゃ」という真剣さが伝わってくる。時間がなくてなかなかストレッチまでできないが、右足をできるだけ伸ばし、体重もかけてみる。できる足のマシンが1つ、また1つと増えていき、新しい年を迎える頃には全てのマシンが動かせるようになっていた。コーチの励ましの声にマシンをもう少し速く動かしてみると、今までなかなか上がらなかった脈拍数も上がってきて、汗もしっかりかくようになってきた。筋肉をこれ以上落とさないようにするため、やめていたプロティンも再開した。
こんな私を支えてくださる方々のご支援もありがたかった。平日の午前中の絵本屋でワークショップを提案してくださる。コンサート会場として利用してくださる。店の2階に住んでくれている若夫婦の存在もありがたい。足が悪い私に代わって力仕事や雪かきもにこにことやってくれ、今年の大雪では、みんなで店の前に猫型かまくらを作って笑い合った。商店街の皆さんにもイベントや作業にお誘いいただき、商売に対する思いや態度を学ばせていただいている。昔の教え子が立派な大人になって、カードゲームの指導者として月1回店でボードゲームを指導してくれる。「お客さん、ちゃんと来てる?」と病院帰りに心配して寄ってくださる方がいる。クリスマスの飾りを持ってきてくださる方がいる。狭い町なので、私だけではなく、父や母が姉が娘が紡いでくれた人間関係が店を応援してくれている。座敷におひな様を飾るのが夢だったが、なんとカーブスの会員さんがこころよく展示させてくださった。また、会員さんの紹介で、公民館での教養講座の講師もさせていただいた。もちろんカーブスにもチラシを置かせていただいている。お礼でもないが、お店に来たお客さんに筋トレの大切さは伝えている。
この4月に開店1周年を迎え、長かった1年を振り返ってみた。色々なことがあったけど、乗り越えていけたのは、カーブスに通って筋トレを続け、元気な体と心を取り戻すことができたからだと思っている。自分1人だったらきっと挫折していただろう。コーチの励ましやメンバーさんが毎日頑張っている姿が私を支えてくれたのだと感謝の気持でいっぱいだ。
カーブスで取り戻せた体と心で、これからも武生を笑顔いっぱいの町にするために頑張っていきたい。