カーブス歴4年、80歳、パンツがはけて嬉しさいっぱいです。
パンツと言っても紙パンツではありません。2つのパンツ(ショーツ、ズボン)を立ったままバランスを取りながら穿くことができるようになったのだ。
以前の私は風呂から上がるとバスタオルを腰に巻いて脱衣所に用意した小さな椅子に腰をおろしてショーツ、パジャマのズボンと身につけていったのでした。それが80歳になった今、立ったまま片方ずつ足を上げて穿けるようになったのである。そんなこと当たり前と思うかも知れないが、高齢になると足を高く上げるとよろよろとして危なくて物や壁につかまったり、寄りかからないでは安心してパンツが穿けなくなるのが現実なのだ。
カーブスを始めて4年だが熱心な会員ではなかった。「私も運動をやっている」と友人達への言い訳のようでもあった。月に4、5回がやっと、楽しいと思ったことも無かった。それが、一昨年は座骨神経痛になって涙の出るような苦痛を経験した。それを自分の努力とカーブスに通うことで乗り越えたとき意識が変わるのを覚えた。
4キロの道のりを自転車に乗って教室に着く、以前とは違ってマシンに向かう気構えが違う。意識が変わると成果も見えてきた。通える回数は相変わらずだがそうしているうちに
「むむ、ウエストがゆるくなってきた、太腿も細くなった?第一に体のバランスが良くなった」
を実感できるようになったのである。
バランスが良くなると転倒防止になる。老人にとって転倒は命取りになることさえある。体幹の良し悪しはもっとも重要な事だと信じている。
昨年の春には東北桜巡りで弘前城の天守閣への傾斜のほとんどない梯子段も登った。秋には湖東、湖南の800段の石段を登り、みごとな山寺の紅葉を満喫できた。彦根城の天守閣から梯子段を下りるとき後ろの若い女性が「おばあちゃん、大丈夫ですか?」と手をさしだしてくれた。「有難う、80歳の記念に自力で登れて嬉しかった」と答えると、「わあ、凄い、私も勇気をもらった、ありがとう」と手を振ってにこやかに去っていった。今春は九州旅行に行って高千穂渓谷や知覧の武家屋敷通りも歩いてきた。カーブスの成果を身をもって実感している。
私は元来、ハイキングや登山が大好きで丈夫な足と体が自慢だった。だが、若い頃から25キロも増えてしまった体重はいかんともしがたく、いろいろなダイエット法やスポーツジムに通ったりした。その成果で5キロは痩せたが突然の新型コロナ騒動が駆け巡り、ハイキングや登山も行けなくなった。スポーツジムも閉鎖した。体力が落ちるのはあっと言う間だった。そんな時友人の紹介でカーブスに入会したのだった。
おかしなもので成果が実感できると意識が変わる、コーチの先生達にもそれが解るのか声掛けが多くなってきた。そんな中で昨年、「おうちでカーブス」を勧めてくれた。私のように他に用事があって教室に通う回数の少ない人にぴったりのサービスだと言う。会費も増額になるがカーブス効果を実感していた私は迷わず入会をしたのだった。スマホをセットしてボールと赤、青2色の幅広いゴムの輪を持って椅子に腰掛ける。メニューを選ぶと指導員の女性が優しく軽やかに運動へいざなってくれて自分の姿も画面上にみることができる。
最初の頃は半信半疑の気持ちがあったが、気を入れてしっかり運動すれば教室と変わらない運動量になる。スマホの画面は老人の私には見にくかったがすぐに慣れてくる。家でする運動だから誰も見ていないと安心してパジャマだったり、シャツだったり衣服にはこだわらないで運動していた。ところが、私が通う岩槻教室の先生が「頑張っていますね、見ていましたよ」と声をかけてくれた。「えっ、先生に見えるのですか?」「はい、岩槻教室の番が回ってくれば直接先生が画面に映ります」という。教室へ行った日も、おうちでカーブスした日も画面上でしっかり教えてくれる。システムの理解できない私はただ驚くばかりだ。
先月、病院の先生から
「血圧も良いですね。糖尿病のA1Cも良いですね。お薬はいらないですね。体重を落とすことと運動で頑張りましょう」と夢のような言葉をいただいた。80歳にして薬も飲まない、痛いところもない、この幸せが末永く続くことを祈るばかりだ。
遅まきながら芽生えたカーブス愛をより確かなものにするために、教室とおうちとで2つの場所で頑張っていきたいと思っている。それこそが健康寿命だと確信している。