カーブスに通い出して10年以上が過ぎた先日、特別感あふれたプラチナカードとTシャツを頂きました。5年目のゴールドから、10年のプラチナまではアッと言う間でした。
教室の中でも、紫色の記念Tシャツを着てハツラツとWOに励むメンバーさんは、なぜか目に止まります。「わぁー、あの人10年も頑張ってるんだ!」「やっぱりベテランの感じ!」「姿勢もシャキッとしてる!」...と、尊敬にも似た思いと共に見ていました。自分の中にも「10年、我ながら頑張ったじゃん!」の気持ちを持てたことも誇らしく思います。

 今や、TVや書籍などの媒体からの情報もあふれ、健康に対する意識は、特にシニア層にまで確実に浸透してきているようで、カーブスの教室も、スーパーの店舗内も手伝ってか、毎日当たり前のように満員札が早々にかかげられます。
私がカーブスの入口に立ったのも、あらゆる介護支援に頼りながら、父の在宅介護に幕を下ろした後、やり切った感から、やるべき事が空白になってしまったかのようでした。少しずつ元気も復活しだした頃、そう言えば...と友達がすでに通っていることも思い出しながら、すでに介護も迫りつつある母のことを思い浮かべ踏み出した一歩でした。続くかどうかは二の次に、とにかくスタートしてみると、今まで使わなかった体のそこかしこに思いが至り、自分はいったい今まで何をしていたんだろう...。ウォーキングこそ、せっせと自分に課すかのように続けてはいたものの、肝心の筋肉を育てることには、何ら効果を発揮していなかったとは、目からウロコでした。
 そして、今までの気力、体力のいる介護に頑張ったことが、思わぬ反動となったかのように、突然ひどい腰痛となって襲ってきたのです。せっかく丈夫な体を作り、次なる介護に臨もうと思っていた矢先、いささか腰を折られた思いでした。しかし、病院の医師いわく。「カーブスですか...様子を見つつ続けていいですよ」と。続けた方が良し!の思ってもいなかった言葉に背中を押され、ホッとしたものです。古希過ぎのこの齢になるまでで、一番辛い...と思うほどの腰痛でしたが、それぞれに特化した機能を持つ12の内、無理の少ない機器を選び、様子を見ながら、ほぼお休みすることなく頑張って続けるうちに「あれ...良くなってきた」と、いつの間にか平常と言える状態になれたのです。自分でもこんなに辛い状態で続けられたことが信じられないくらいでした。
それ以後は、この経験をしたことで、時々ふっと顔をもたげる昔の職業病とも言える腰痛にも、我ながら上手く対処でき、日本中が平等に面くらった"コロナ"の時を除けば、あれよあれよの10年が経っていました。

 ならばこれまで全て順風満帆のカーブス通いであったかと問われると、実は、あの一時の過酷だった腰痛とは別物の"辛さ"が、何度も何度もありました。そして、それはこの先も「ゼロ」になることはないのも自覚しています。その辛さとは、普通であれば当たり前の聴力が、私の場合著しく低下しているが為に、大勢いるメンバーさんの、特に同じ時間帯に頑張っている人達との、入店待ち時や、WO後の、和やかに交わすおしゃべりの仲間に、入りたくても入りきれないことなのです。
聴力に関しては、幼い頃より片耳難聴となりここまですでに、困ったこと、悲しかったことは数えきれませんが、最近になって、大事にして過ごしてきた片方の耳までが、年齢のせいもあるのか、より聴き辛さが増してきてしまったのです。この現実は、自分の力では抗いようもなく、頼みの綱の補聴器も好結果とならず、この状況を受け入れるしかないのか...と、この頃は半ば諦め気味でした。カーブスを通じ「最後まで元気でいたい」と、志を同じにするメンバーさんと、たわいもない会話を一言、二言...と交わし合いながら楽しく毎日を過ごすことを望みながら、耳の不具合により叶わない日々でしたが、私の耳の状況を聞いたメンバーさんが、嬉しいことに、優しい言葉と共に寄り添ってくれ「大丈夫だよ!」と、温かい声をかけてくれたのです。このことが「こんなことで、カーブスに通うのに後ろ向きになってどうするのっ!」と、私にハッパをかけてくれます。ここまで続けてこられたカーブスです。そして実感もしています。私、ホントに丈夫になりました。

 ①歩幅も大きくサッサと歩けます
 ②姿勢も齢にしてはまずまず合格?でしょう
 ③腹圧も常にハガネのように入ってます 笑
 ④思うように言葉を通じて交歓できない分、常に笑顔だけは全開!

今の私を、自己満足、自意識過剰?気味に列挙してみました。
結局、私はアットホームな、このカーブスが大好きなのです。

 父亡き後、介護態勢万全の体を目指し、同時進行とはなったものの、全力で母をも送ることが出来たことを、生き生きとカーブスに通う私を応援してくれていた母も「良く頑張ったね」と、褒めてくれたことでしょう。
この先も頑張って続けた暁には、どんなご褒美が待っているかを楽しみにしています。
90歳を越して、母の常々言っていた「背中が曲ってないから若く見られて嬉しいよ」の言葉が今も心に残ります。娘の私も負けずに同じ言葉を笑顔で言えるように、これも1つの目標に加えました。