「こんにちは!」「ありがとうございました!」
カーブスのスタジオに入るときも出るときも、コーチより先にあいさつするのが私のポリシー。それはこの扉をくぐった瞬間から私の人生が大きく動き出したから。そして輝き始めたこの道をずっと歩き続けていきたいから。自分を変えてくれたこの場所に、感謝と敬意を込めて自らあいさつすると決めているからです。
今でこそ元気印の私ですが、ほんの1年数か月前まではまったく別人のように鬱々と過ごしていました。きっかけは、母が倒れたことでした。両親は昔から仲がよく、高齢になっても実家の長野で季節の移ろいを楽しみながら日々を送っていました。しかし2019年に母が介護施設に入所すると、翌年には新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るいはじめ、都内に住んでいる私は母の見舞いはおろか、父に会いにいくこともままならなくなりました。ただでさえ母との別居で寂しさが募るなか、世間との関わりまで絶たれてしまった父の心は次第に不安定になり、私への電話が増えていきました。私は会いに行ってあげられない罪滅ぼしに父の気の済むまで長電話につき合い続けましたが、いつしか早朝だろうが真夜中だろうがこちらの都合などお構いなしに電話をかけてきては、やりきれない現実に声を荒げるようになっていったのです。
四六時中、親の傍にいて介護をされている方からすれば電話くらい大したことではないのかもしれません。しかし睡眠時間も食事の時間も削られ、1日の大半を父に搾取(さくしゅ)される毎日は耐えがたく、心はじわじわとむしばまれて遂には粉々に砕けてしまいました。
主人に付き添われ心療内科を受診したとき、これくらいのことで潰れてしまった自分が情けなくて涙が止まりませんでした。しかし早く元気にならなければ家がまわっていかないと再び自分を奮い立たせ、薬を飲んで強引に食べ物を口に押し込みながら、家事や父の電話をこなしていきました。
それから2年後、祖母の命日に父は天国へ旅立っていきました。そのとき私に残っていたのは、まだ傷の癒えない心と、脂肪と言う名の重たい鎧(よろい)を身にまとったブヨブヨの身体だけでした。
そのころにはパンツ類はレディースの物がまったく履けなくなり、必要に迫られると泣く泣く妊婦服コーナーへ行って商品を選ぶしかありませんでした。かつては裾直しなどしたことがなく、試着して気に入ったパンツをその場で購入し颯爽と街を歩いていた自分が幻のように思えました。
そんなある日のこと、定番着となってしまったチュニックにたっぷりと脂肪のついた体を隠しながら商業施設内のスーパーに向かって歩いていると、カーブスの看板が目に飛び込んで来ました。一瞬足が止まりましたが、今さらと思い直し、そそくさと通り過ぎようとすると、たまたま出て来たコーチに呼び止められました。しばらく話すうちに、試しにやってみたら少しは気分が明るくなるかもしれないと思え、帰宅後体験の予約をしていました。
予約日当日、少し緊張しながらカーブスの扉をくぐった瞬間「こんにちは!」と言うはつらつとした声に胸が弾むような感覚を覚えました。見るとスタジオ内にいるコーチのみなさんは美人&可愛い方達ばかりでびっくり。その後、リズミカルな音楽と会員さんの楽し気な顔にますます高揚してくる気持ちを抑えながら説明をひと通り聞き終えると、トレーニングの前にかけられた「お水はまめに飲んでくださいね」という言葉にまたまたびっくり。これでも私は学生時代ずっとバレーボールに青春を捧げてきた体育会系。水分を取るとスタミナがなくなると練習中の水はいっさい禁止の昭和理論を叩き込まれた時代に育ったので、正直水を飲むことには抵抗がありました。しかしマシンを体験していくうちに、体がポカポカとして来て合間に飲む水のなんと美味しいこと!そして身体の動きに合わせてシュンシュンと鳴るマシンの音は、細胞のひとつひとつに新しいエネルギーが注ぎ込まれ、1秒ごとに自分が生まれ変わっていくようなそんな力強い音色に思えました。
想像以上の心地よさに、体験を終えると迷わず入会し、体調と相談しながら週3回のペースで通うことにしました。通い始めの頃はまだまだネガティブな思考が顔を覗かせることもありましたが、そんな時もあるさ、と呟きながらカーブスの扉をくぐり、マシンを動かしていると、沈んだ気持ちも次第に晴れて大抵すっきりとした気分で帰ることができました。花粉症が重い私は春と秋2か月ほどをおうちカーブスに切り替えていますが、週に1度はリモートでコーチと一緒にトレーニングできるので寂しさもありません。そして今まで、とにかく食べなければ力が出ないと、炭水化物に偏った食事をしていましたが、それも改め、足りないタンパク質はカーブスのプロテインで補うようになりました。
それから約1年後、なんと体重はマイナス9.9kg、ウエストはマイナス8.8cmを記録していました。カーブスに通うと気分が良くなるので、ただ楽しく続けていただけなのに、まさかこんなに早く目に見える結果が出たのには自分自身が驚きました。
先日美容院に行った時、十年来の付き合いの美容師さんに「以前よりたいぶお痩せになりましたし、髪もとってもつやつやなんですけど、何かよいことでもありましたか?」と聞かれました。私はうれしくなってカーブスに通っていることやプロテインが美味しいことを話すと、なるほどと頷き「髪はタンパク質そのものですからね。それにしても、こんなにはっきりと結果が出るんですね」と感心されていました。
うきうき気分で家に帰り、夕飯の準備をしようと米びつを開け、買っておいた10kgのお米を持ち上げたとき、そのあまりの重さに愕然としました。そして、私はこんなに重たいものをずっと体に抱えていたんだ、と改めて思いました。
綺麗ごとばかりでは終わらなかった晩年の父との関わり。きっとこの重みの正体は、吐き出されないまま心に沈んでいった黒い澱(おり)の塊だったのです。
私はその場にぺたりと座り込むとひとしきり泣きました。熱い涙が一気に流れ出ると、あとはただ優しかったころの父の顔しか浮かんできませんでした。あのつらかった日々は父と私にとって避けては通れない、学びの期間だったのだと今ではそう思えます。
心も体もぼろぼろだったあのころ。そんなとき、カーブスの前でこんな私を呼び止めてくださったコーチ。そして毎回、弾けるような笑顔で迎えてくださるコーチと会員の皆さんの姿があったからこそ、私は再び立ち上がることができ、健康と言う素晴らしい宝物をまた手にすることができました。本当に感謝しかありません。
人生は山あり谷あり。思いもかけない出来事がある日突然やって来ることもあるけれど、今はもうあまり怖くありません。だって私にはカーブスがあるから。
今年は大大大好きな推しのライブに行ったり、女子会もいくつか計画しています。久しぶりに会う友人たちの驚く顔が今から目に浮かびます。そのとき、私は迷わず言うつもりです。「カーブスは未来を変えるよ」と。