「ぎゃー。助けて...。」
私の叫び声だった。買い物途中、階段から滑り落ちた瞬間だった。運良く?夫と一緒だったため、それから病院に行った。去年の4月17日の午後だった。あれからもうすぐ1年。骨折と診断され全治3ヶ月。ギプスは、3週間だったが歩けるようになるまでには多くの時間がかかった...。

 「ギブスが外れましたよ^_^ 明日から歩いて良いですよ。」
整形外科の医師と看護師さんに言われた。ギブスが外れたのは、とってもとっても嬉しかった事だが、あれ...。なんだか歩けない...。歩き方を忘れたように足に力が入らないんです。何度挑戦してみても、歩く事は、出来なかった。困った私はリハビリを紹介してもらい、ギブスが外れても両松葉杖のまま帰って行った。

 両松葉杖からのリハビリが始まった。平行棒を使い、歩く感覚をつかみ、それから力の入れ方を学び、片松葉杖になった状態から、片松葉杖の歩行の仕方をリハビリの先生に習った。たった20分足らずのリハビリだが、両松葉杖から片松葉杖になり大きな進歩だった。早速家で自主トレを繰り返し、歩けるようになるま必死で頑張りました。何回も家で自主トレをした。介護タクシーを使い病院のリハビリに通った。
その必死さが伝わったのか、数週間ほど経つと片松葉杖で歩けるようになった。片手がフリーになり、自分の手で窓をようやく開けられるようになった。いつもと同じ景色だが、空気は美味しく、空は澄んでいた。感動しました。自分で出来る事の素晴らしさに涙が出てしまった。そして、それからは、リハビリとカーブスで、なんとか自力で歩けるようになった。

 思えば、怪我してカーブスには行けなくなった。
「足を転んで怪我しました。しばらく安静のようです。」
「それは、大変かと思いますが、"おうちでカーブス"があるから続けてみてください。」
とコーチから言われた。もちろん電話での数分の会話だった。ギブスの間は、毎朝ラジオ体操とおうちでカーブスを続けた。

 ギブスが外れても松葉杖が外れるまでは同じように続けた。画面に映るカーブスのコーチは、どのコーチも笑顔で運動していた。その笑顔さが私には少し酷にも感じた。そして1月ほどで松葉杖が取れて片手杖でなんとか外に出て歩けるようになった。そしてコーチに事情を説明して、お店のカーブスに復帰させてもらった。歩く事は、大変で労力を使った。いつも通りの道だったが、道がデコボコしていたり、横断歩道を信号が青の内に渡ったりと、病みあがりの私にとっては、前には、感じなかった感覚が足にあり、毎日必死だったが杖をつき歩いて、毎日毎日休まず通った。

 そしてそんな中、毎日のようにしてコーチの励ましがあり、笑顔があり、その励ましを頼りに通い続けた。少しでも多くの筋肉の貯金が欲しかった。そして何よりもしっかりと大地を踏み締めて歩けるようになりたかった。しかし、時には、よろめき、時には起つのが辛く、そんな毎日だったがお店のコーチの毎日の挨拶に「体調は大丈夫ですか?痛いところは、無いですか?」と気にかけていただきそこにはいつもあたたかい笑顔があった。また周りのメンバーさんにも寄り沿ってもらえた声が嬉しかった。「どうしたの?」「久しぶりだね。」などと、メンバーさんから言葉を掛けていただき、さらに「足の負担は無いですか?」などの労いの言葉もいただいた。さらに嬉しかった。また、毎日通えるように、毎日夕方天気予報を見て次の日に雨の時間帯を避けて通ったり計画して。また一日雨が降る日は、夫に送ってもらい、怪我なく安心して通えるように自分なりに工夫もした。
そんな中やっと杖が取れて、やや不安定ながらも自力で歩く事ができるようになった。

 そしてなんとか仕事にも復帰した。それは、たった3週間のギブス生活だっだが3年ぐらいの重くて、長い月日を感じた。毎日窓から見える景色に退屈しのぎに「カラスでも来ないかなあ」と何度もお願いした事か...。また、家に1人でいた時、"ギシ"っと家が鳴いて怖さを感じたこともあった...。そんな中杖をつきながらでも歩いて行けるカーブスには、多くの心の癒しをもらった。
あれからカーブスには、感謝の意を込めて通っている。まだまだ歩きには、不安定があり長い距離を歩いたり、走ったりは出来ないが、ジャンプは出来るようになった。重い荷物を持って歩く事も出来るようにもなった。

 あれから一年がもうすぐ過ぎる。
人は、いつどうなるかわからない。
明日を信じる前に、今日を大切にして毎日カーブスに通いたい。
健康な体のもと、健康な未来を作りたい。
ありがとうカーブス。
そしてこれからもずっとよろしくお願いします。