令和3年12月、人生最晩年にある私は、今後若い者には迷惑をかけたくないという思いでいっぱいだった。何かしたい。いや何かせねばならぬと思い続けていた。
そんな折、ニューコースト新浦安の3階で、久しぶりに知人のYさんに逢った。そこでこんな会話が始まった。
私 「何処へ行くの?」
Yさん 「カーブスに行くの」
私 「カーブスって何?」
Yさん 「筋トレのジム」と。
そこで私は、何のためらいもなくのこのことYさんについて行った。Yさんに逢ってから数分のこと。
果してそこは、私の初めて目にする筋肉トレーニングの施設であった。見渡すと、輪を描いて置かれたマシンを操る人の群、その光影を見て感じたのは、筋肉トレーニングといういかめしい言葉のわりに、そのメンバーに年齢の差がない。髪に白い毛が混じった人もちらほら、私は安堵した。絶えることなく流れるテープの音声・運動の様子を横目で見ながら担当のコーチの説明を聞いた。入会に年齢の制限はない、レッスンは何日でも何時でも個人の自由と言う。これは非常にありがたいことである。私は入会する決心をした。一度もマシンに触れてみることもなく。その時、私の脳裡には年齢は全くなかった。自分の年齢をすっかり忘れていたのである。
その夜、1日の行動を整理していて、カーブスという筋肉トレーニングの組織に入会したこと、待てよ、私はいったい今何歳なのかと。当時86歳、これは86の手習い・86の出発・86の一年生。この時のことを今思うのは、人間忘れるという事は悪いばかりではない。世を渡ってゆくのに好都合のこともある。「無」もまた大切なことであると。
入会の決心が驚くほどスムースであったのは手続の時のMコーチの優しさ、それと共にMコーチの名札「S」という名字、この名字は、学生時代の親友と同じ名字なのである。己れの過ぎ来しのなつかしさを思ったことも大であった。
次の日、やや緊張の面持ちでカーブスの会場の入り口に立った時「○○さん、おはようございます」と下の名で呼びかけられた。驚いた。もう私の名を覚えたのかと。下の名とはいかにもアメリカ的である。全く未知の集団の中に入った私には、大きな励ましになり、気持ちが和らいだ。
いよいよマシンに触れる。重い、持ち上らない。時にはコーチの手を借りた。また、座わるマシンでは尻餅をつかないようそろりと細心の注意で祈る思いで行動した。無事お尻を据えられた時はホットしたものだ。このように四苦八苦しながら12種類のマシンをテープの音声に合わて回る。己れの力不足をいやという程感じつつ、流れに遅れまいと必死だった。
週に3回、時には4回通い、無心で励んできた。コーチの声・マシンに触れる約30分間が楽しくなって来た。こうして満3年経った。今ではカーブスに通うことが、私の大切な日課になり、その日の第一の仕事で、心の糧ともなっている。精神安定剤でもある。この3年間風邪をひく事もなく、健康の維持につながっている。何より日常生活の中で、家事が以前よりスムースになり、生活の向上にもつながっている。嬉しいことだ。
『継続は力なり』を実感しつつ。
また、毎月行う測定、この3月の測定で体年齢が入会時より2歳若くなった。こんなこともあるのかと少々気を良くした次第である。と同時に自分に自信を持てるようになった。
カーブスに通い始めて幾日か経ってから私は我息子にその旨を告げた。その時の息子の反応は、私がびっくりするほど大きかった。息子は、母親である私の体力・気力などずーと気遣っていたのだ。彼はカーブスについてはすでに十分承知しており、大いに賛成してくれた。私は心強さを抱くと同時に、私自身・息子即ち若い者のために頑張ろうと改めて心に決めた。
そして息子は、カーブスについて滔々と語り始めたのである。曰く、現今の日本の状況を思う時、カーブスのような事業の存在は大きい。フレイルになるのを1人でも多く防がねばならない。社会保障費を小さくせねばならぬのだ。カーブスは保険であると。また彼は、男子対象のカーブスを立ち上げるべきと。声を大にして唱えた。私も全く同感である。
86歳の戯言をつけ加えたい。私は日本の国を背負っているわけでもないが、現今の社会保障量の大なることを憂う一人である。今こそ1人でも多くこの事を認識し、保険に加わろうと言いたい。
前述したが、私はカーブスに通って3年、体年齢が2歳若くなり89歳、1人生活をしている。86歳の出発も決して遅くない。この経験を多くの人に伝えねばと思う。マンション・シッピングセンター・エレベーターなどで居わせた人々に、カーブスの意義を話している。相手の反応はまちまちだ。カーブスって「そんなによい所?」と悔しさを滲ませる人、また中には、費用を口にする人もある。
△△ 「費用が高いのよね。」
私 「1ヶ月に一度または1週間に一度しか通わなければ高いかも知れないが、週に二度・三度・四度と頑張れば安いものよ」
△△ 「それもそうね。」
と、反応はそれぞれであるが、早く己れの身体の重要性に気付いて欲しい。気付いた時の決断が大事。
「おそくはない」