最初1年ぐらいは仲のいいメンバーさんはできなかった。カーブスも行ったり行かなかったり。
初めての仲良しさんはCさん。カーブス終わりに近所のスーパーで会って「カーブスの方ですよね」仕事帰りの1番遅い時間帯にやってきては更衣室で慌てて着替えながら会話するようになった。Cさんと仲良くなってからは不思議と他のメンバーさんとも話せるようになった。かっこいいけど近寄りがたいKさんも話してみたら気さくだった。いっつもど真剣にマシンを動かしているMさんはとってもおもしろい人だった。Sさんはいっつもニコニコしていて話しかけやすかった。Tさんは飾らない優しい人だった。

 仲間ができてからカーブスが何倍も楽しくなった。早く仕事を終わらせてカーブスに行くことが習慣になった。そんなに話し込むわけでもない。カーブス以外で会ったことはほとんどない。だけど、かけがえのない最高のカーブス友達なのだ。
仲良くなって10年以上になる。この10年みんな色々あったと思う。病気になった人もいたし、けがをした人もいた。電車で1時間以上かかる職場への転勤になった人もいた。憂鬱な気分で過ごす期間があった人もいた。
私も色々あった。仕事が忙しくなり休みがない日々もあった。食物アレルギーでご飯が食べられなくなり、一時6kgも体重が減った。階段から落ちてしばらくお休みしたこともあった。
みんなそれぞれカーブスを退会する理由もあったと思う。でも誰も退会しようとはしなかった。誰かになにかあるたび、みんなで励ましあって続けてきた。仕事で疲れてもう倒れ込みそうな時でも、何とかカーブスに間に合えば仲間やコーチと笑いあって晴れ晴れと家に帰れる。
よく冗談のように言うのだが「カーブスに這うようにしてやって来て、スキップで帰る」ことが年に何回かはある。体や心がきつかったら、とりあえずカーブスに行けばいいと思っている。

 母も福岡県久留米市のカーブスリベール久留米店に12年通っている。
12年前、それまで2年間の闘病を続けていた父が亡くなった。それから2か月ぐらい経った時、母が電話で「ちょっと足が弱ってきたかもしれない」と言った。父の闘病中の2年間は、入退院を繰り返す父のそばに寄り添っていた母。入院中は毎日病院にお見舞いに行き、退院してくると介護の方の力を借りながら在宅介護を行っていた。父を失った時に、母はそれまで父のそばにいた病院の人、介護の人たちとの人間関係もすべて失う事となった。母は突然に孤独になった。
田舎で車にも乗れない72歳の母が行けるカーブスはないかを調べてリベール久留米店にたどり着いた。バスは1日に2本しかない。朝9時に家の前のバス停からバスに乗り、10時前にカーブスにつき11時のバスに乗って昼前に家に帰ってくる。これだったら、行ける!母に提案した。母はそんなに乗り気ではなかったけど、体験に連れていくことができた。

 体験してみたら、やってもいいかなと思った様子で入会の手続きをした。
コーチから「カーブスに来て元気になったら何がしたいですか?」と聞かれ、「何もありません」と答えた。「娘さんと旅行なんてどうですか」と聞かれた母は「とくに行きたくありません」と答えた。「週に何回ぐらい通えそうですか」との質問には「週1回ぐらいなら」と答えていた。
母は福岡県、私は大分県と離れて住んでいるので、私ができるのはここまで。一緒に通うことはできないし、車で連れて行ってあげることもできない。続くかな、通えるかな、と心配しつつ私は母に「行くか行かないか迷った時はとりあえずバスに乗ったらいいよ」とだけアドバイスしておいた。心配はいらなかった。カーブスに通いだして母はあっという間にカーブスに夢中になった。

 あれから12年、母はほぼ毎日カーブスに通っている。バス代は1か月3万円かかっているが「まったく惜しくは思わない」と言っている。「カーブスに行くのが生きがい」とも言っていて、私以上にカーブスを楽しんでいる。
この12年、母は全く衰えていない。病気も1度もしていない。益々元気になっていく。亡くなった父が見ていたらびっくりしてるんじゃないかな。
母がこれだけカーブスを楽しみ、通い続けられているのは、きっとリベール久留米店のコーチ、メンバーさんのおかげだと思う。母に声をかけ、励ましてくれている皆さんにお礼を言いたい。母が元気で楽しく暮らせていること、それが娘にとっては何にも代えがたい喜びなのだ。
萩原店にも母と同じぐらいの年齢のメンバーさんが多くいらっしゃる。元気に通ってこられることを称えたい。母もそうなのだが、年をとっても元気で自分の人生を楽しみたいとカーブスに来られるメンバーさんを尊敬するし、私もそう年を重ねたいと憧れる。
私は39歳でカーブスに入会したので、50年通ってもまだ89歳だ。さすがに50年通ったらそれはすごいことなんじゃないかと思っているが、案外その頃にはカーブス歴50年以上のメンバーさんもいっぱいいるのかもしれない。私も50年継続を狙っている。萩原店の年上のコーチにも私の50年を一緒に見守ってくれるようにお願いしている。

 萩原店の特徴の一つに冬の「カーブスプリンセス」のすごい盛り上がりがある。
カーブスプリンセスはメンバーさんを4つのチームに振り分けて、チームごとのシール枚数を競う団体戦。来店で1枚シールをもらえて、チームごとの模造紙に貼っていく。日によって、2枚シールがもらえる日もある。ダブルポイント、2倍デーなんて言われてたりもする。
この期間は同じチームのメンバーさんとの会話が増える。「いい調子、このまま頑張ろうね」「ちょっと負けてるね、でも昨日よりは追い付いてきたね」「明日も来れる?私も来れるよ」
普段は仕事でカーブスに間に合わない日もあるが、プリンセスの期間はそうならないように調整している。遅くなりそうな仕事はいれない。残業はしなくて、その分はカーブスが休みの日に働く。どうしても間に合わないような日は、昼休みにカーブスに行くこともある。
そこまでする?そこまでしてしまうのがカーブス萩原店のプリンセス。勝利の景品がほしいのではない。ただチームで団結して勝ちたいのだ。大人になって人と何かを競うことなんて日常生活になかなかないし、新しいメンバーさんとも仲良くなれて、プリンセスはとても楽しい。
プリンセスをきっかけに仲間が増えて、来店がより楽しくなる。私がそうであったように、仲間がいれば、どんなときもカーブスを続けていける。
カーブスに通い始めたきっかけはみんなそれぞれ違うのだけれど、縁あって同じカーブスに通いだした私たち。みんなでずっとカーブス萩原店に通い続けたい。

 カーブスの効果は?と聞かれると書ききれないぐらいいっぱいあるのだが、私や母にとって1番大きいのは体力がついたことで、人生に前向きになれたことではないかと思う。母も私もカーブスに来る前より明るくなったと感じている。

母と娘、毎週日曜日の電話タイムの最初の一言は「今週もカーブス行けた?」「うん、毎日行ったよ」
きっとこれからも。ありがとう。