令和6年7月2日。膠原病の定期受診の際、炎症反応が高い。ということでCTを撮ることになりました。「何ともありません。が2週間後にもう一度来てください。」ということで帰路につきました。しかし、帰りのバスの中で携帯電話が何度も鳴ります。相手は今さっきまでいた大学病院から。家に帰りつき折り返し電話をかけると、
「今すぐに病院に戻って来てください。大腸に穴があいています」と言われました。
「では、バスに乗って向かいます」の私の返事に先生は
「いえ、来る途中に何かあってはいけないので救急車で来てください」と。

 どうやら、S状結腸に穴があいているようです。でも、私はお腹が痛いということもなくピンピンしています。キツネにつままれているような感じでした。救急車に乗って病院に戻ったのですが、救急隊員の方に申し訳なくて、「スミマセン」と言っていました。病院に着き救急受け入れしてもらい、入れ替わりたち替わり色々な人が来られます。食道胃腸外科の先生が病状の説明に来られて
「この後、手術室が空いたら緊急手術をします。膠原病の治療でステロイドをたくさん服用されているので、人工肛門になります。これは一生です」と言われました。
開腹手術というだけでもビックリなのに人工肛門。どういうこと?人工肛門って俳優の渡哲也さんがそうだったのは知っていたけど、どういうものなのか全くわからず、私の目からは涙がポロポロと流れ出した。60歳に手がかかりそうなオバサンが泣くなんて。と思われてたかなぁ。

 手術の時間は3時間にも及んだようです。おヘソの少し上から下に約20cmの手術あと。腹筋を切ったからか術後1週間は痛みに苦しめられました。
 8月にはステロイド性大腿骨頭壊死で人工関節の手術を受け、私は両股関節に人工関節、お腹には人工肛門ということで、どれだけ人工というものが好きなんでしょうね(笑)

 カーブスは7月から9月いっぱいまでおうちカーブスに変更し、10月から店舗復帰しました。おうちカーブスでは主にストレッチをしていました。復帰した時にはどのマシンもすごく重たくて、特に足のマシンは思うような範囲で動かすことができませんでした。コーチはとても心配してくださり
「大丈夫ですか?」「無理しすぎないでくださいね」とよく声をかけてくださいました。感謝。

 1か月もするとスクワットでは深くしゃがみ込めるようになりました。片足立ちも左足(手術をした足)では、ヨロヨロして7秒も立つことができなかったけど、気がつくとしっかり立てるようになったことに秘かにニンマリしていました。

 コーチのみなさんに私の身体の変化を知ってもらおうと手持ちの本をコピーして今の私の状態の資料を作り見てもらいました。私がそうだったように言葉だけではよくわからないですもんね。

 メンバーさんも急に来なくなった私を気にしてくださる方が何人もいてくださり、久しぶりに顔を見て、
「どうしてたの?大丈夫なの?」と声をかけてくださいました。それからは私の顔を見ると、
「体調はどう?」や、「今日も元気そうね。私も元気がもらえるわ」や「あなたの笑顔を見るとホッとするわ」と声をかけてくださいます。

 令和2年の右股関節の手術以降カーブス仲間(人生の先輩方が大半なのですが)が増えてうれしい限りです。
「乗り越えられない試練は与えられない」を心に日々過ごしています。それから、声を出して笑う。これはカーブスに通っていると絶対にできることですよね。久しぶりにカーブスに行った後、笑いすぎて腹筋が痛かったです。家ではなかなか声を出して笑わないですもんね。

 身体のあちこちに人工物がついているけれど、こんな私でもカーブスで頑張ってます。というのを全国のメンバーさんに知ってもらいたくて今年もカーブスエッセイに応募してみました。

 レ・アール鈴蘭台のメンバーのみなさん、いえ全国のメンバーのみなさん。健康な方も不調のある方もみんなで楽しく運動していきましょうね。今日も頑張るゾー。