去年の今頃、仕事の帰りに地下から地上に出て歩いていると、チラシを配っているトレーナーの方から「カーブスです」と渡されたチラシを家に帰ってから読んでみると、肩の痛みに良いのではないかと思いました。
翌日帰宅途中で同じ場所で昨日と同じ方がチラシを配っているのを見つけて私の方から近づいて声をかけました。「よろしかったら見学してみてください」とおっしゃられて私はその言葉に誘われてエレベーターに乗って会場をチラリと覗いてみました。そこで、マシンを動かして元気に運動しているメンバーさんを見て、私もやってみようかしらと思いお伝えしました。
1周回るだけでも気分がスッキリして嬉しくなりました。
偶然にチラシを受け取り、立ち寄って始めたことが、今では仕事帰りに吸い寄せられるようにエレベーターに乗ってトレーニング場でマシンを動かす私です。今年の3月で1年になりました。
カーブスマガジンを読んでいるとこのエッセイ大賞の応募が目につき、1年頑張った記念と、これからも継続していこうという気持ちを込めて書いてみました。
カーブスに入会して生活の流れの一部となっていることは、私の心と体にとって必然性があったと思うのです。
今年の7月に73歳を迎えますが「まだ73歳じゃない」という気持ちになっているこの頃です。
70歳を過ぎた頃から体力や気力や知力に不安を感じることもありました。どう折り合いをつけていこうかしらと時々頭をよぎることがありましたが、カーブスを続けるうちに、「これで良いんじゃないの」と今の自分の日々を思うようになってきました。音楽大学で声楽を専攻してミュージカルへの夢を追い、結婚を機会に主人の両親と同居して二世帯住宅にして音楽教室を開き、子育てとピアノや歌、コーラスと毎日充実した日々でした。一から始めた音楽教室や子育てを通して知り合った仲間とコーラスグループを作り活動して楽しい日々でした。
そして両親の介護が始まり常に気にかけて生活する十数年でしたが音楽に携わることで乗り越えることが出来たように思います。
両親の介護が終ってから社会との関わりを持ちたいと思うようになり、保育士の生徒さんからいただいた保育関係の本を読んで65歳で保育資格を取得して保育園での勤務が始まりました。会社努め経験がなく、保育の職場も始めてで無我夢中で働き、ある日の朝、起きようとすると、突然ぐるぐる目が回り、嘔吐をともない救急車で運ばれそのまま入院となり、1週間点滴を受け退院出来たのですが次の年また同じことが起きてしまったのです。めまいの恐怖を思うと自信がなくなり辞めようと思ったのですが、自分のペースで続けていけば良いのではないかとアドバイスをいただき今も続けることが出来ました。
得意なピアノや歌を生かせるリトミックを担当させてもらい楽しい時間を持てることは私のエネルギーになっています。続けられるためにも体力が欠かせません。
そして今回のカーブスマガジンのエッセイ応募を1年目の記念に書こうと思い1つ1つの記事に目を通すと衛藤信之先生の「こころの道標」に出合いました。今生きている瞬間は「贈り物」平凡の中の幸せを味わってというサブタイトルの最後に今自分のおかれている状況を贈り物だと思って生き抜くことが、人間として大事なこととくくられていました。
この文章に私の心が響きました。
過去のこと、先のことをいろいろ考えるより今を精いっぱい楽しんで毎月過ごして行こうと。「そうだ、そうだ。」と腑に落ちました。
偶然にカーブスに出合い、今ではカーブスは私のこれからを必然的に導いてくれることになると思うのです。