コーチに尋ねたところ「カーブスセリオ西神南店」は2011年11月8日にオープンしたそうだ。その頃わたしは神戸市営地下鉄西神南駅の4つ東「名谷駅」に近い「名谷健康館」の中のプールに通っていた。コーチの指導で水中体操、水中ウォークなどもあり悪くはなかったが、洗体槽が冷たくて震え上がったのと、着替えと水着の後始末が予想以上に面倒であった。40年以上仕事と家事に追われて体のケアをしてこなかったので、退職後は何か体を動かすことを始めようと心に期してのプール通いだったのに、敢え無く降参してしまった。ちょっとした挫折感を味わいながら次の手段を模索するうちに「女性専用ジム カーブス」に出会い、2012年2月14日入会した。その後夫の死や自身の体調不良などいろいろあったが、なんとか13年間続けてきた。13年間も続けられた理由は何か。
いろいろあるけれども、最も大きいのがコーチの存在だ。コーチに対する感謝の気持ちもいろいろあって長くなるので、まずはっきり目に見えることから。
カーブスセリオ西神南店の店舗内を見渡すとたくさんの掲示物が目に飛び込んでくる。
常時提示されている「心拍数早見表」「正しいストレッチの仕方」の図解をはじめ「筋トレのうれしい成果のお声」「筋トレの成果を見つけよう」「うれしい成果のお声」など本部から送られてくるらしいポスターが多いが、店舗のコーチたちの手作り作品もそれらに負けていない。メンバーのサポートやさまざまな雑務の合間を縫って創意工夫を凝らしたポスターを掲示して店舗を明るく楽しくしてくださって、いつも感謝している。
特にすばらしいのが「計測成果の山登り」だ。月1回の身体測定で腹囲の数値が減少した分だけ測定用の紙テープを切り落とし、その小片をつなぎ合わせて「成果の山」の頂上を目指すという取り組みだけれど、最初この名案にひどく感動して「こんなこと、誰が思い付くんだろう!?」と見惚れてしまった。一度取りはずされたので「なんで外しちゃったんですか!?」とコーチに抗議しようかと思っていたが、最近再びさらにかわいらしく工夫されて復活したので「年寄りが要らぬ口出しをしなくてよかった!」と安堵している。みなさんの成果の小片がちょびちょびちょびちょび(普通『少しずつ』と書くところだけれど、わたしはこの表現がふさわしいと思っている)繋がって「成果の山」のてっぺんに届いたら、また第3弾の登場...となるのかもしれない。
さて、ポスターと言えば常時は掲示されない「取って置き」があるのをご存じだろうか?わたしの取って置き・一押しは「カーブス日本上陸15周年記念」の巨大ポスターだ。
カーブスの日本上陸は2005年だけれどこのポスターは2020年、つまり今から5年前に作製されたもので、ブルー地に髭面のアメリカ人男性ゲイリー・ヘブンの顔写真と彼が1992年にカーブスを創設するに至ったいきさつが記されていた。彼のお母さんは病弱で、彼が13歳の時に亡くなられ、人の命は医療だけでは救えないと痛感して、女性の健康作りのためのジムを作る決意を固めたとのことであった。すごい息子さんだ。
わたしの母はわたしが22歳の時に55歳で亡くなった。40歳で亡くなったゲイリーのお母さんよりは長く生きてくれたが、やはりわたしたち姉妹にとっては早過ぎる死であった。
カーブスのマシーンの上で心地好い汗をかきながら、よく母のことを思い出し、心で母に語りかける。
「お母さん!わたし今年82歳になるんよ。小さい頃弱っちくて病気ばっかりして心配かけたけど、お母さんより27年も長生きしたんよ!すごい?気をつけてたら、あと5~6年は生きられるかもね。
お母さん、あの人のことは知ってるよね。
初ボーナスでオーバーを買って試着したその足で西市民病院へ2人で見舞いに行った時、センターベンツが白糸で閉じたままになっていて病室中大笑いになったね。あの翌年10月にわたしら結婚したんよ。子ども3人できたけど、お母さん1人も知らないよね。悔しい!わたし姑さんと40年以上一緒に暮らしたんよ。田舎から出て来てもらって、子どもたちの面倒も見てもらったし‥‥。姑さんはいい人だったし感謝もしてるけど、やっぱりお母さんに長生きしてもらって子どもたちの面倒も見てもらいたかったな‥‥」
あと何年生きられるのか、カーブスには何年通えるのか...まさに「神のみぞ知る」だけれど、長患いして子どもたちに迷惑をかけることがないように、「ピンピンコロリ」で人生の幕を閉じたいものだ。「昨日までカーブスに行っていたのに...なんか起きるのが遅いと思って見に行ってみたら.........」と言ってもらえれば本望だけれど......?