「ゆみこさん、こんにちは」「けいこさん、今日も来られましたね」といつも声をかけてくれます。長年名字で呼ばれることが多かった私は、名前で呼ばれることに最初違和感を感じていました。ところが、ある日思いがけない再会が名前を呼んでくれる事であったのです。

 私の卒業した小学校は小さい小学校で、1学年26人しかいない、1学年1クラス、メンバーは6年間一緒です。その中で小学校6年生の時、家庭の事情で転校することになったMさんがいました。そんな小さな学校で転校していくことは寂しくて、これからどんな人生が始まるのかわからないお別れでした。その後、Mさんとは会ったことはありません。
転校後、風の便りもなく、私も自分の生活で手一杯、気がつくと60歳を超えて、仕事も退職して少し時間と心の余裕がでてきました。そんな時、親戚の家に届ける物があり、Mさんが以前住んでいた地域を車で通りました。かなり田舎でもう住んでいる人はほとんどいない地区ですが、Mさんの家はここだったかもと思いながら車を走らせました。
次の日、カーブスで「Mさん、こんにちは」とコーチの声を聞き、昨日通った所に住んでいたMさんと同じ名前、顔を見ると小学校6年生の時のMさんと何となく似ている。鼻が高くて色が白くて髪は明るい色、遠くから毎日通っていてマラソンはいつも1位、背は低かったけど...。といろいろ思い出して当てはめてみてしまった私。もう頭の中がMさんのことばかり...。でも声をかけて違いますと言われたら恥ずかしい...。私の事を全く覚えていなかったら寂しい。などなど、ぐるぐる回ってしまう気持ち。それから数日、「Mさん、おはようございます」「Mさん、お疲れ様」などの声を聞く度に心がざわざわ...。
ついにある日、「失礼ですが、Mさんは○○○さんではないですか。私は○○○です、小学校の同級生では...」と意を決して声をかけると、なんとなんと、そうだったのです。しかもすんなりわかってくれて、50年ぶりに再会した事は嘘のように会話が弾みました。転校後の生活や、大人になって家庭を持ち、今は子ども達や孫達が近くに住み、健康に気づかいながらカーブスに通い、カーブスでも仲良しができて充実した毎日を過しているとのことに、50年の時を超えて再会できた喜びをかみしめました。もちろんそれからカーブスで会い、ラインの交換をし、家に遊びにいつでも来てという言葉ももらって心がふっと温まりました。

 このことから、カーブスで名字ではなく名前で呼ばれる事の大切さを改めて実感しています。名前で呼んでくれたので、50年経ってもMさんと結びつきました。また、いつもコーチが明るく名前で呼びかけてくれているので、繰り返し聞く事で記憶を呼び起こせました。さらに、カーブスの明るい雰囲気が勇気を出して声をかける背中を押してくれ、多分Mさんもすーっと受け入れてくれたと思います。女性は姓が変わることがありますが、名前は変わりません、ずっと自分でいられます。名前で呼ばれることに最初は違和感をもちましたが、今は感謝の気持ちで一杯です。カーブスは運動して健康になることを勧めてくれていますが、その基盤は心の充実と感じています。カーブスは健康作りの場だけでなくリラックスややる気を持たせてくれる場でもあります。これからも、身体はもちろんの事心の健康も考えながら楽しくカーブスに通いたいと思っています。