令和5年12月、私たちの母は86歳の誕生日の夜、すい臓がんでその生涯を終えました。その様子を姉妹のグループラインで共有していた私と妹は、姉に母の葬儀を任せるつもりでした。なぜなら、私は重度障害の息子を自宅で介護中、妹は酪農家で何頭も牛を飼っていて超多忙、2人ともすぐに家をあけられる状況ではありませんでした。
ところが、翌日の早朝、姉からの電話で、施設に入所中の父が危篤で救急搬送されたと言うのです。腸閉塞の再発でした。父はそのまま帰らぬ人となりました。父が結婚式で誓った「死んでも離れません」(両親は4歳違いでした)の言葉通り、母を守るかのように一緒に旅立ちました。
私と妹、各々の家族に、両親が一緒に亡くなり一緒にお別れできるのなら、行ってお別れしたほうが良いのではないか、家のことは何とかなるから後悔しないように行動したほうが良いとアドバイスされました。そこで、姉妹で話し合い、火葬に3人揃って立ち合うことに決めました。さあ、それからが大変です。私はJRで約8時間、妹は飛行機の乗り継ぎで約6時間、各々の家庭の事情を家族にたくし、両親の元へ到着しました。姉の心遣いで両親は仲良く手をつないで眠っていました。来られるはずのなかった母の葬儀に父が呼んでくれたのです。2人は一緒に火葬場の炉に入り、私たちは、1回に2人分のお骨は多くて大変すぎる等とちょっと文句を言いながらお骨を拾いました。遺影は2人で1つの写真立て、遺骨も2つ並べて置かれ、私たち姉妹にとって本当に奇跡のような出来事でした。
ここから、姉妹でカーブスの話に入ります。両親が呼んでくれた葬儀で、私達は約20年ぶりに3人揃い、悲しいながらも楽しい再会の日を過ごしました。その時に姉が、カーブスに私の紹介で通って半年位の妹の美ボディに気がついたのです。7年通っている私のお腹もきれいだねとほめられ、カーブスっていいね!すごいね!という話題で盛り上がりました。火葬が無事終わり各々の自宅に戻ったあと、姉からカーブスに体験に行きたいと連絡がきたので、私が紹介チケットを送ったのですが、妹の「コーチにほめられたい」という言葉に負け、紹介は妹にゆずりました。こうして令和6年のはじめ、カーブス3姉妹が誕生したのです。それから1年、各々が住んでいる場所で各々の都合にあわせ、カーブスに通っています。1人1日1回までですと、その日2回目の入店をあきらめる姉、ほぼ週2回のペースで通い、毎日来店する利用者さんに「久しぶり?」と言われる私、何かと多忙で今日も行けなかったとがっかりする妹、いつか、1度でいいから私たちが生まれ育ったこの街で、一緒に並んでマシンを動かしてみたいと思います。ビジター仲良し再会チャンス!!の様な制度が出来る日を願って、これからもがんばって通い続けます。いつも励ましてくださるコーチの皆さん、声をかけてくださる利用者の皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
入賞
「カーブス3姉妹」
カーブスって
どんな運動?