「手術も出来ません。完治もしません」夫がクリニックからの紹介でやっと総合病院を受診した時の医師からのことばでした。ニクール抗がん剤の治療をして、効果を評価しましょう。と助言され、それから一週間考えた末に入院を承諾し、抗がん剤の治療にチャレンジしました。しかし、副作用が強く自由にならない入院生活もあり、夫は「もう辛い検査や治療はしたくない。治らないなら住み慣れた家で日常を送りたい!」と強く希望し、そして在宅緩和医療を受けることになりました。
 私に兄弟姉妹は無く近くに在宅医療を応援してくれる親戚も無く本当に私ひとりで夫を支えて行けるだろうか・・・とても不安でした。でも私に他の選択肢は無く夫の最後の希望なら私がやれるだけの事はやろうと心に決めました。
 一か月に一回付き添いで外来受診、血液検査と診察だけでほとんど一日がかりの通院日、夕方に帰宅すると夫は「今からでもカーブス体操に行けるんじゃないか?行ってきな」と私に促しました。私は毎日行かなくてもいいんだから休む」というと「行ってきな!」とまた声が掛かる。そんな月日が流れ夫も好きな料理をしたり年末という時期でもあって私が出来ないような大掃除も徹底的に行い、自由にそして精力的に日常を送りました。
 しかし、次第に夫は食事も摂れなくなり体力も落ちいよいよ介護が始まりました。当初から親戚や近隣にも迷惑を掛けるから病気のことは言わないようにと強く言われていて私の気持ちの持って行きようがなくなりました。そんな状況でも夫は「体操に行ってきな」と声をかけてきて私も気分転換と介護のための体力づくりだと自分にいい聞かせカーブス体操に向かいました。
 自宅で過ごせてストレスも少なかったためか余命三ヵ月と言われたのに七ヵ月も生き延びて二月中旬に私の手元から旅立ちました。
 夫の希望に添って介護できたのもカーブス体操で筋力がつけられたこと。三十分でも汗をかいて夢中になって体を動かせたこと。
カーブス友とのちょっとしたしゃべり。そんなことも私の精神が保てた要因だったと思います。
 今も遺影の夫が「カーブスに行って来な」と語りかけているように思えます。これからは私自身が一年でも長く自分の足でしっかり歩き自立した生活が出来るようにカーブス体操を続けて行きたいと思います。さあ出発