ふっくら顔のHさんがカーブスのドアを開けて入って来ると、私はうれしくなって思わず手を振ってしまう。「カーブスマガジン」には"希望の階段"という題名で、Hさんの詩が掲載されている。カーブスに入会したばかりのHさんはあの詩にあるように「脊柱管狭窄症」という病気で大変な思いをしていたようで、「ホント言うとね、"地獄の階段"て書いたくらい、這いつくばって必死の思いで登ってたの。そしたら編集部の人が『地獄じゃあんまりだから"希望の階段"にしよう』と言って変えられてしまったの」とケラケラ笑っている。何て楽しい人なんだろうと、私も一緒になって笑い転げてしまった。
 そのHさんが最近「痛い」「痛い」と顔をしかめながら階段を上って来ることが多くなった。「もう年だから仕方ないよね」という言葉もふえたため、コーチでもないメンバーの私だが、ついつい忠告してしまったものである。「Hさん、『痛い、痛い』言ってると余計に痛さが増すんだって。痩せ我慢でもいいから『ありがとうございます』って言ってると、良い方向に向かうらしいよ」などと。すると、すかさずHさんは「ありがとうございます」と言いかえてニッコリする。その笑顔が何とも可愛らしくて、「わっ、ステキな笑顔!やっぱりHさんは笑ってる方が似合ってる」と手を叩いて囃し立てては二人で笑い合うのが習慣のようになっていた。
 私個人の信条として、「疲れた」「大変」「忙しい」「年だから」などのマイナスの言葉は禁句。反対に「気分はいつでも18歳」を口癖にしているくらいだから、Hさんが辛そうにしている顔を見るのは、私の苦痛でもあったからである。
 そんなある日の事。私は結婚している娘の家へ手伝いに行った帰りの車の中で、右脚に違和感を覚え始めた。家に着いて車を降りる頃には右脚全体に激痛が走り、満足には歩けない状態になったのである。以前、坐骨神経痛らしき痛み(自分判断だが)に苦しんだ時、熱い風呂に入ったらピタッとおさまったことがあったので、主人に頼んで風呂を入れてもらい、入ってみたものの痛みは一向に消えない。立っていても寝ていても、坐っても這いつくばっても、どんな姿勢をしても楽になるどころか、益々痛みが増してくるし、腹痛まで伴ってくるのである。これは尋常ではないという思いになり、さしもの医者嫌いの私が、夫の「救急車を呼ぼう」という言葉を受け入れる気になり、病院に搬送されたのが夜中の12時少し前であった。
 当初、救急車は夜間担当の病院へ向っていたのだが、娘が数年前までH病院に勤務していたこともあり、H病院への変更を依頼すると、H病院の方で気持良く受け入れてくれることになり、後で思えば救われたのである。
 さて診療を受けてみると「右閉鎖孔ヘルニア陥頓」との由。小腸が筋肉と筋肉の間に入り込み、圧迫されて機能しなくなる病気という。それで思い当ったのは、20年前「右大腿ヘルニア陥頓」で、同じH病院で手術を受けていたことである。医師は当時のカルテを取り出して見ながら、今回の症状に対して、より適切な判断をして下さったようで、改めて激痛の中でH病院への変更を願い出た自分に喝采を送ったものである。
 ちなみに20年前、毎日見舞に来てくれていた中2の娘が、温かくて親切な看護婦さんに憧れて、「ゼッタイにH病院の看護婦になる」と決意したこともあり、病気も100%悪いばかりではないと思えたのもこの時期であった。
 今回は医師がお腹の上から指で押さえて、陥頓した小腸を元に戻したことで痛みがパッと消えてしまい、大騒ぎした自分を恥ずかしく思ったくらいである。が、それで解決したわけでなく、「この病気は痩せてる人に多くて、更に年齢を重ねるにつれて表面の皮膚も中身もゆるんで来て、癖になりやすい病気なんです。こう言ってる間に、明日にも又なるかも知れないし、死ぬまでならないかも知れない」と追い討ちをかけるように言う。親切心で言って下さっているのだとわかっていても、医師とは現実的でなかなかシビアなものだと、改めて思い知った気がする。結局、根治術という手術を受けておけば安心ということになり、自分の都合もあって、二週間後に受けることを承諾したのである。
 再発するかどうかわからない病気のために手術を受ける身になって思い出したことがある。女優のアンジェリーナ・ジョリーが乳癌になりやすい体質のため、乳房を切り取る手術を受けたという話があった。当時私は「バッカじゃないの?」と笑っていたものだけれど、今の私は彼女と同じではないかという無念の思いが強い。夫に言うと、「彼女は病気になってないのに恐怖心から手術。むつみさんは実際になってしまったから、再発防止のための手術。明らかに違うよ」と慰めてくれて、夫の優しさにグッと来たものである。
 はじめの入院時の検査では、肺機能は年齢よりずい分若く、心臓機能も血液検査の結果も全て良好と出ていた。これこそカーブスの筋トレのおかげに違いないと思い、再入院するまでの間は、軽い筋トレをしておくつもりでカーブスへ出かけることにした。
 Hさんは私の顔を見るといつもニッコリして、「もう書いた?」と聞いて下さる。カーブスエッセイのことである。実は昨年の同時期に浜松芳川カーブスから登稿したのはHさんと私だけらしく、二人で佳作の賞品をいただいたのである。「グランプリとまでいかなくとも、せめて準賞くらいならねえ?残念無念!」などと冗談を言いつつ、「今度はもう少し上を目ざそうよ」とも言い合い、あとは爆笑である。しかも驚いたことに、エッセイの募集要項が発表された途端に、Hさんから「もう出したよ」との報告。一字も書いてなかった私は冷や汗ものだけれど、Hさんの立派なところは他にもある。暇ある毎に、五、七、五と指を折ってはカーブス川柳に投稿する句を考えていることである。文章を書くのはキライではないと言いつつ、余り書かない私とは大違い。常に書きつづけているHさんを尊敬の思いで眺めつつ、加えて愛らしい性格のHさんが私は大好きである。
 つい最近までの9年間、ある奉仕団体の要職を引き受けていた私は、その間、風邪も引かず、仲間からは「鉄の女」と呼ばれていた位である。精神的なストレスから吐血したことが二度あったが、原因がわかっていたのでストレスを失くすように努め、病院へも行かずに済ませたほどである。生半可なことではくじけないと自負していたのに、要職を退いたとたんに、痛みに関してはまるっきり意気地ないことを露呈する結果になり、「鉄の女」という神話も崩れたかと残念である。今はHさんが「痛い」「痛い」と階段を登ってくる姿にも、生意気な言葉は掛けられなくなっている。唯、心からHさんの痛みが緩和されるよう祈るだけである。
 この経験によってコーチの皆さんが励まして下さったこと。メンバーさん達の温かい言葉と、Hさんの「ゼッタイ投稿しようね」の言葉に力をもらって、再入院した病院内でエッセイを書けたこと等々。私を取り巻くカーブスの全てが何と温かく愛に溢れていることか。やっぱり死ぬまでカーブスは止められない。これが現在の私の心境です。