亀井勝一郎が『人生は邂逅である』と説いている。まさにそれ(めぐりあい・偶然出会い)が私にとってカーブスだった。また、『青春は第二の誕生だ』とも言っている。ある人から、別の言葉にして教えてもらった。いつも失敗ばかりしている私を、救ってくださるために言ってもらえたのだ。それは、人生は何度でも、自分自身で誕生を迎えることができる。変革の日を、節目の日を、それらを誕生とすればよいのだと。
  入会前の二年間、毎日が日曜日という暮らしが、何だかもったいなく、頼りなげに思えた。何かが物足りなく、パソコンがお友だちだった。それでも、自分なりのルールをきめ過ごしていた。過去の人間関係は特に縮小し、できるだけ人と付き合わない、時間は自由に使う、決まった時間に通うような習い事、指導や指示されるような環境は作らないなど。更に、だらしない生活はしない、最低限の身だしなみは忘れないと。しかし、体は正直で『足底の強い痛み』『食べたら太る』まさにこれを実践していった。足底の痛さに悲鳴を上げることとなり、仕方なく整形外科に行くと、「足底腱膜炎」と診断された。新しい小さな三角の尖った骨が生まれ、神経を刺激する。安易に考えていたことで、慢性化してしまった。いったん生まれた骨は、今も私と共存している。幸いリハビリの先生に助けられた。冗談のように優しく(きっと本音でしょう) 「サイズの大きいカンオケは価格が高いよ、トクチュウだから。重いと担げないしね。」
 等々励まし?を言われ、体を動かす指導を受けた。トイレの中で座ってする肩甲骨体操、テーブルを使う簡単なスクワットなど。歩くことは良いと分かっていても、重くなった体を支える足底が痛いのだ。また、長年の車中心の生活は、たった1kmでも車で動きたい。痛みの緩和は、体重の減少がセットになっているので、これは運動しかないと覚悟した。
  そんな私が気づかないうちに、新たな誕生の時を迎えることになった。たまたま本屋に行った折にカーブスをのぞき、お話をお聞きすることにした。電話予約もしなかったのに、快く対応して下さった。入口を入った時にはもう「お試し」ではなく、「入会」すると決めた。まさにこれこそが『邂逅』だ。ステキな彼に出会ったように、それも偶然ではなく、運命的に出会ったのだ。カーブスを知ったのは何年も前のこと。仕事が忙しく、通うことは難しいとその時は断念した。翌日から筋トレに通うことを、仕事にしようと考えた。入会時 「ダイエットのことは言わないで。先生方より長く生きているから、知識だけは多いのよ。」(以前、勤め先ではダイエットクラブを主宰し、通信を書き、啓蒙をしていた。クラブ員は主宰者始め、誰ひとり痩せずという実績もある。) とお願いをしておいた。今まで、ダイエットすると始終言っているにも関わらず、実際にはしたことがない。多くの知識もあり、ダイエット食品も、道具も、我が家には鎮座している。気持ちと実行はウラハラなのだ。すると 「大丈夫、言いません。ここでは筋トレ第一、筋トレをしましょう。」 と言って下さった。心の中を見透かしていらした。以来、仕事(筋トレ)に邁進することで、足底は一時期のような激痛も少なくなり、セットの体重減少にも、ほんの少しだが効果があった。悲しいかな、本当は、夕食後の大好きなお菓子と決別したのだけれど。
  これまで、私の人生の中で、褒められることなんてほとんどなかった。当然だ。仕事はできて当たり前、褒められることなんてない。今、コーチたちは褒めすぎくらい、褒めて下さる。そんなことで褒めちゃダメ、褒められるようなことじゃないと思いながら、優しい、オーバーな(ごめんなさい)お褒めに甘んじている。褒められ慣れていないので、それはそれで、気恥ずかしい。『カーブス流やる気出させ褒め作戦』(命名者 ワタシ)ということも十分、分かっている。素直じゃないなと思いながら。コーチはよく希望にも応えて下さる。入会してすぐ、着替えコーナーに小さな椅子を入れていただいた。いくら体力と体重がある私でも、パンツや靴下を履くときに、時には不安だった。座ってするストレッチもあえてやらずにいた。腰掛けてばかりの生活は、床に座るということすら忘れていた。不安を伝えると迅速に対処してくださった。また、壁のお知らせも「ビジュアル化して、情報は端的に、分かりやすいといいな。大きな字だともっとうれしい」と伝えると考慮してくださった。筋トレ中は、いくら良い情報でも、わざわざ老眼鏡を使って読むという技はできない。高齢化した体や痛み、そして心は、実際に体感してみないと、他人には分からない。私たち自身も、自分の今より高齢化した自分は、未体験であり永遠の謎なのだから。
  さて、生意気にも私は今、カーブスを私物化し、全国展開の壮大な計画を心の中で立てている。若い人たち、特に小さな子どものお母さんたちの憩いの場になればいいなと。私自身、子どもを産んですぐのころ、周りに知り合いもなく、社会からも隔絶され、世の中でひとりきりだと思い込んでいたことがある。一番幸せな時期にも関わらず、寂しくて悲しかった。SNSだけで交流する今の若い人たちに、生身の人間の温かさに触れさせてあげられたらいいな。例えば、1か月に1度くらい、昼休みなど利用し、体を鍛えさせてあげる。母親業や祖母業の経験のある若い?私たちがその横で、子どもたちを見守る。お母さんたちは筋トレをし、ストレス解消をする。私たちはその時間だけ、ボランティアもできるなんて幸せだ。企業(カーブス)と市などが共同で企画すれば、実現可能ではないか。時には、ミニコンサートなど開催し、私たちも一緒に楽しむ。体も心も満たされる。カーブスの良さや、体を動かす楽しさ、清々しさ、自分に戻れる時間を作ってあげることで、いつか若い人が必ずここに戻ってきてくれる。保育者を目指す学生さんを巻き込んで、お手伝いしてもらうのだっていい。そこにも、カーブス予備軍の若い人たちがたくさんいるのだから。いつしか、カーブスを私物化し、企画を勝手に考え、おもしろいことはないかと探している。昔の私、新しいことに挑戦したい私に戻っているようだ。
  「健康でないと通えないよね。」と仲間で話す。健康を作るために通う前に、体も心も健康でなくちゃ通えない。ほとんどの方が人生において、ドラマティックな出来事や、特別なエピソードがあるわけじゃない。心が揺れるような、そんな日々は困る。毎日の食事や歯磨きのように、ごく普通に、淡々とカーブスに通えることこそが幸せなのだ。先輩方には、人生の道標となっていただく。若い人たちには、年齢を重ねることがステキだなと、思ってもらえると嬉しい。仕事や、過去から離れたことで、時には嬉しいことを共感し合え、悩みを話せる友もできた。お互いを気遣い、思い合える。縛られるものが何もない今だから、ひとりの人間として付き合ってもらえる。ほんの少しだけ、心の余裕ができたようだ。振り返るとカーブスは、私にとっては筋トレ、体作りより、健康な心作りの方が大きい存在だ。各自が、それぞれの場所でよい。物足りなかったものは、まだ捜索中だけれど。
  今の生活、そして心、気持ちが新たな『誕生』だとはっきりと分かった。失敗したら、やり直せばいい。今は、健康な心もあるのだから。