忘れもしません。寒い朝でした。いつものように元気良く駅の階段を駆け上り、そして何段か降りかけた時、「アレ?」「おかしいな、足がフワフワしてる。」と思った瞬間、みごとなまでに転倒。その時は痛さよりも恥ずかしさの方が先にたち、何事もなかったように電車に飛び乗りました。待っていた友人に「階段で転んじゃった。」というも、自分の頭の中に帰ろうとかお医者さんに行こうという選択肢は全くありませんでした。何とか歩けたし、湿布でもすればすぐに良くなると高をくくっていました。
 次の日、整形外科でレントゲンを撮ると、膝蓋骨骨折ということで、その日から膝上から足首までの着脱式の補装具と松葉杖の生活となりました。お医者様からは「1ヵ月ですね。」と言われました。
 それからは、自分自身との葛藤の日々でした。補装具で固定した右足を、伸ばした状態でこたつに座ると、こたつに手をついても自分1人では立ち上がれないのです。その度に夫を呼んで立たせてもらいました。1週間経ってお風呂に入っていいと言われても、お風呂にも1人では入れず、夫の支えが必要でしたし、足が曲がらないので、靴下を履く事も、パンツやズボンを履く事も1人ではできず、その度に夫に手伝ってもらいました。夫は「介護の練習だ。」と快くやってくれ、買い物から食事作り、洗濯と生活の全てを委ねざるを得ない状況でした。この時ほどありがたいと思ったことはありません。

 でも、夫が出かけていない時もあります。自分で立ち上がるにはどうしたらいいかを考え、こたつと反対側に高さが調整できる椅子を置き、右手はこたつ、左手は椅子の高さを変えては何度も立ち上がる練習をしました。『よいしょ!』初めて自分で立ち上がる事ができた時は、「立てた!」と嬉しかった事を思い出します。
 私がけがをしてすぐ思った事は、このけがは私にとってきっと意味がある事、必要必然の事なんだという事です。仕事、お茶会、ボランティア、お稽古、カーブス全てをキャンセルしたら、どこにも行かなくていいことに気づき、私の人生においてこんな長い期間家に居る事は初めての事でした。『ピンチはチャンス!』キャンセルした手帳を見ながら、ずっと家に居ていいんだと思ったら、なんと貴重な時間をいただけたのかと・・・。今まで頑張ってきた事への神様からのプレゼントだと思い、座ってできる事、今までやりたくてもやれなかった事を楽しんでやりました。スマホのメールやラインの消去、書類の整理、読めなかった本を読み、聴きたかった音楽を聴き、切り干し大根や干し芋を作りました。今思い返してもなんと充実した夢のような時間だったのだろうと思います。

 ただ、そんな中自分なりに気をつけた事がありました。『太らないように!』動けないのに今までと同じように食べていたら必ず太ってしまうので、間食はしない。そして、食事を控えめにしようと決め、自分と約束しました。膝に負担もかかるし、自分が後で辛いと思ったからです。

 そしてある日、足を伸ばした状態でも上下左右に動かせる事を発見しました。1日に何回か少しずつやり、元気な左足や腕は、ゴムを使って動かしました。
 日が経つにつれ、膝も少しずつ曲げられるようになり、立っての台所仕事もできるようになりました。お医者様からは「足はなるべく着かないように。」とは注意を受けましたが、痛みもなく、気がつくと自然に足が着いていました。今思うと、骨がきれいに折れて、自然治癒で骨がつくのを待つだけというのも、私が6年カーブスに通い続け、日頃からコーチの方々が『タン白質』『タン白質』と言って下さるのを、毎日の食事で気をつけていた事、毎日プロテインを飲んでいた事など、普段の生活の中でカーブスに通っていたからこそ自然に身についていた成果なのだと実感しました。

 けがをして丁度1ヵ月。お医者様から「骨がつきましたね。補装具と松葉杖はもういいでしょう。」と言われた時には、これでやっと動けるんだと思いました。その後は当然のようにリハビリに通うものだと思っていたら、「自分でやって下さい。」との先生のお言葉。「自分でやる?」「そうだカーブスだ!」と思い、その日午後1番に行って、コーチに「今日松葉杖がとれました。今日からよろしくお願いします。」と言って、1ヵ月ぶりにカーブスのドアを開けました。コーチ達が口々に「真澄さん待っていましたよ。」「無理しないようにゆっくりやりましょうね。」と言って下さり、ホッとしました。まだ右足を引きずり、くつもきちんと履けないような状態でしたが、上半身だけでもやろうと思い行きました。最初は私の後ろを一つ空けて下さったり、「大丈夫ですか。」と声をかけて下さり、お気遣いいただき、安心して自分のペースでワークアウトする事ができました。
 5日間は3つのマシンはやりませんでしたが、次の週、「乗せるだけでもリハビリですよ。」のコーチのお言葉に、「その通りだ!」と思い、両手で足を持って乗せてみました。乗せられたんだから少し動かしてみようとやってみると、痛みもなくできたのです。カーブス再開して10日で全部のマシンができるようになりました。自分で徐々に強く、大きく動かしていき、松葉杖が取れてからは、カーブスにはリハビリのつもりで毎日通いました。日ごとに膝の裏のツッパリや違和感が薄れていくのを感じました。できなかったことができるようになる喜び。まるで赤ちゃんが立ち上がって一歩を踏み出した時のような嬉しさがこみ上げてきました。
 松葉杖が取れて2週間目に病院を受診。「きれいについていますね。歩くのもスムーズですね。」と言われ、「これでもう来なくていいですよ。」と言われた時は、お医者様には終止符をうつけど、カーブスにはこれからも通い続けるぞ、これからがリハビリの本番だと思いました。

 私が今回カーブスエッセイに応募しようと思ったのは、私の体験を皆様にお伝えすることで、けがは日常のどこでも起こり得ることを知って欲しい。そして、カーブスに通い続けていたからこそけがが軽く済んだ事。又、何よりも油圧式のカーブスのマシンが自分の体調やペースに合わせて無理なくできた事で、回復が早かった事を知ってほしいと思ったからです。『ありがとうカーブス!』
 私はこれからの人生、『あわてない』『けがをしない』をモットーに、カーブスに通い続け、元気で楽しく活き活きと過ごしていきたいと思います。