(私がカーブスを続ける理由)
  四十を過ぎた頃から膝痛が出始めた。犬の散歩中に私の手を離れた飼い犬を追いかけ、激痛が走った。歩行も困難となり思わず病院に駆け込んだ。レントゲンを撮り、変形性膝関節症と診断された。医師はこう言った。あろうことか、「もう一生治りません」と。その時の治療は膝に溜まった水を抜き、サポーターを巻いただけだった。帰りに大量のシップと痛み止めの内服薬を貰った。呆れるほどに医師の淡々とした口調と、見事に手慣れた手技の看護者に妙な不気味さを感じた。
そんな殺風景な光景にポッキリと心が折れた健康だけが取り柄だった自分。いきなりの出来事に混乱した。「もう治らない。」それじゃあどうすればいいのか。進行を防ぐ手立てはあるのか。これからどう生活すればいいのかアドバイスしてくれる人はいなかった。病院で手渡された薄っぺらいパンフレットの膝関節症予防運動も一通りやってみたが全然、長続きしないし、モチベーションも上がらない痛み止めで痛みは麻痺したお陰で、一見治ったように思った。湿布で腫れも引いた。しかしその後、些細な運動やウォーキングで膝の痛みは再発した。大好きなハイキングも歩き過ぎると悲鳴を上げた。あまりにも再発を繰り返す為、病院に行かず、アイシング等で我流に治療する事もあった。段々と長距離歩く事や、山歩きから遠ざかっていくしかなかった。未だ四十を過ぎたばかりなのに正座すらできなくなっていた。法事の時も膝を崩して座る、高齢者の椅子が恨めしかった。情けなかった。いつ迄この膝が持ってくれるのか、後、十年は現場で走り回る事が可能なのか、働けるのか。漠然とした不安を持った。職場の健診では血圧、血糖、コレステロールが徐々に高値となっていた。行き場のない状況で症状の出ない日を祈るしかなかった。
 その頃、すっかりシェイプアップした先輩からカーブスの誘いを受けた。しかし、その頃の私は子育てと仕事の両立で身も心も余裕がなかった。毎日がクタクタに疲れ果てていた。これ以上、どうやって時間を工面するのか、ましてや自分の為だけに時間を使えるのか、と。トレーニングジムなんて無縁の世界というか、運動音痴の私についていけるのか全く異世界へのお誘いであった。しかし、本当は年二回の職場の健診の結果が怖かった。上司は私のデータを知って「しっかり糖尿病高血圧予備軍や。」とこき下ろした。冗談やら脅しやらで複雑な思いだった。苦笑いするしかなかった。十年後の自分はどうなっているのだろう。やっぱり血圧と糖尿病の薬を飲んでいるのだろうか。いとも簡単に想像はできた。目の前に大きな問題を突きつけられても最良の対処方法を見つける事が出来ず、心の底では困っていた。
 しばらくたってカーブスを誘ってくれた先輩がしびれを切らしてこう言った。「福ちゃん、このままやったら大変な事になるで。私に騙されたと思うて行ってみいや。いや、絶対行かないかん。学校に行くと思うて一年行って見て。学校は嫌でも行かんといかんろう?」と強い口調で押した。「もう子どもも小学生になったき、かまん、かまん。自分の体をちっと大事にしいや。」半ば断るに断れない状況に追い込まれた。困った、どうやって断ろう、一回行ったら気が済むだろうか。内心、有難迷惑にも思えた。
 渋々、時間を作って重い腰を上げた。出迎えてくれた女性はハツラツとした若いインストラクターだった。私の声に寄り添い無理強いしなかった。元気だが押し付けのない素朴な優しさで包み込んでくれた。関わりの中で私の陰鬱な感情も次第にほぐれていった記憶がある。一人の女性として認められた居心地の良い肯定感のある空間だった。その頃の私は仕事、子育てと怒濤のような毎日に追いまくられていた。「やって当たり前、みんながしている事をしているだけ。自分だけが大変じゃあない。」そう言い聞かせて生活を成り立たせていた。周りからそう言われているようにも感じていた。自分自身を見失いがちになりながらも、日常の煩雑さで誤魔化していた。しかし、段々と体にもガタが来て若い頃のように無理が効かなくなっていた。周りにも気が付かない内に皺寄せが来ているのにも気が付いていなかったのかもしれない。
 カーブスに通い始めて水を得た魚のようにグングンと体重も落ち血液データも改善した。膝に水もたまらなくなり十年間病院にも行っていない。毎日の運動習慣で心身共に整い前向きになっていった。その後、更年期障害を迎え閉経を経験した。仕事面でもブレーキがかかり、ノルマをこなせなくなり人間関係にも悩んだ。子どもは次第に手がかからなくなり体は以前に比べて楽になったはずなのに、何となく歯車が合わない。効率が悪くなった。少し前迄は午前中にカーブスに行って午後はハイキングにも平気で行けた。今は休みの日には家の用事をして、一息ついて夕方カーブスに行くのが精いっぱいになった。それでも行く、学校へ行くように。「どうしたんだ、こんなはずじゃなかったのに。」と体の老いを受け止める事がしばらくできなかった。やる気はあるが体が付いていかない。仕事場でも一生懸命取り組んでいるが空回りしているような気がした。ドッと疲れる。私生活でも義理を果たす事が面倒臭くなって不義理になっても平気になっている。開き直る事を覚えたオバサン根性はすっかり身についた。耳が遠くなり、何度も聞き返し相手に不快な思いをさせ、そのせいで誤解もされた。声も一段と大きくなった。最近ではこの現象を客観的に評価しつつ老いを素直に受け止め、自分は自分でしかない事に気が付いてきた。四の五の言わずギリギリ頑張ってみる。投げ出さずにとにかくやってみる。過去の事は気にせず前向きに歩く。抱え込まずに素直に他人の手を貸してもらおう。今までは、他人様に迷惑を掛けたくなく、頭では判っていても「自分が、自分が」が勝って、実践できなかった。今は、きおわず、あせらず、ゆっくりと大地を踏みしめながら歩いて行きたいと思っている。
 カーブスでは挨拶するだけの人、少しだけ趣味の話をする人、会ったらジムの片隅で延々と話をする人等がいる。その人の詳しい状況は全く知るすべもない。実にあっさりとした関係だ。だから疲れない、変な駆け引きが無く気が楽である。理由はもう一つある。平和だからだ。なんのシガラミも無く、ファーストネームで通用する異空間はどこにもないカーブスの特権である。私達は皆、若い。エネルギーに満ちている。近い将来、たわわな実を結ぶだろう、だって未来に向かって挑み続けているから。「今の瞬間を大事に生きる」健康と言う喜びを噛みしめながら、これからも通い続けるだろう。社会が変化しても変わらない愛情で繋がっている時間が愛おしい。
 私がカーブスを続ける理由。それは、「カーブスがそこにあり続けるから。」始まりの場所であり、終の住み処でもある。