「○○さんこんにちは~」「今日も来られましたね~」
ドアを開けた途端、コーチ達のこぼれるような笑顔と明るい声が私にたたみかけてくる。
話には聞いていたが......。
 コーチの方々は......元気だ。
 カーブスに通い始めてもうすぐ1年になる。昨年四月、思うところもあり、チラシの無料体験につられて電話をした。最初の2ヶ月ほどはその明るさにむしろ引いてしまうこともあった。仲の良い知り合いが通っているわけでもない。家を出るときはには、やはりちょっとした決意も必要だ。マシンの負荷はそれほどではなく、しかも30秒。筋肉がつくって本当だろうか?と疑ったりもした。今振り返ると、にこやかな笑顔を湛えながら、何もかも斜めに見ている自分がいた。
 あれから1年――私は今も週2~3回のペースでカーブスに通っている。汗をかきながらマシンを動かし、足踏みとストレッチに励んでいる。
私はなぜカーブスに通い続けているのか...。
私がカーブスを続ける理由は...。
......それは2年前にさかのぼる。

2年前の四月、新年度の職場の検診で血便とのこと。近くの病院で行った内視鏡検査の結果は、すぐその場で伝えられた。
「進行性の大腸癌です。すぐに紹介状を書きますので、大きな病院で治療を受けて下さい。手術が必要になるでしょう。」
 頭の中がぐるぐる回った。すぐに夫に連絡し子ども達へも伝えた。職場への対応。手術前の数々の検査、そして手術。数ヶ月が瞬く間に過ぎていった。七月、手術は無事終わり、一週間も待たずに退院。気をつけることは特別ないとのこと。しばらくは自宅療養だが、幸い夏休みなので、九月からは普通に職場復帰もできるだろうとタカをくくっていた。
 ところが、その後が大変だった。"ステージ3b"ということもあり、再発防止のための抗がん剤の治療が始まったのだ。もちろん任意だが、主治医の勧めに「ノー」と言えるほどの知識も強さも持ち合わせているはずもなく、八月後半から点滴と投薬の治療が始まった。医師も看護師もそれはそれは丁寧に説明してくださり、とても親切だったのだが、そもそも抗がん剤は免疫力を押さえる薬なのだから、元気になるわけがない。説明書に書かれたとおりの副作用に悩まされ、更にその症状を抑えるための薬が追加される。「風邪を引いてはいけません。人の集まるところに行ってはいけません。温泉・お酒は控えましょう。常にマスク・手袋をして、靴下は二重にはきましょう。等々」回数を重ねるうちに次第に体は弱っていく。ある朝自宅の階段から落ちたのを機に、治療は中止となった。主治医の先生もあくまでも再発防止のためですからと、快く承知してくださった。
治療をやめて1ヶ月たつと、不思議なほど体は回復していった。その時私は思った。自分の体はできる限り自分で守ろうと。本も読んだ。食生活の見直し、ストレスをためない。そして、とにかく、免疫力アップ――私の体の中にはたくさんのがん細胞がいる。その子達が育たないためには、免疫力を高めることが必要。そのために今私ができること――
そうだ、筋トレをしよう!! 
そして......とある四月の午後、私は電話をかけたのだ。

 先日職場の先輩だった方と話す機会があった。7歳年上の彼女は地域の活動や趣味に没頭する毎日を実にイキイキと熱く語っていた。その中で、話がカーブスに及んだ。
「私、週に3回通っているのよ~」と先輩。
「あら、私もそのくらいを目指しているんです。」
「通い始めて3年になるけど、とにかく元気、医者いらずよ~」
仕事も子育ても終了し、人生を謳歌している先輩の姿は、私の思い描く老後(?)に似て、心の晴れ晴れとするひとときだった。

 手術をしてから1年9ヶ月が過ぎた。現在も2~3ヶ月に一度の定期検診で、再発チェックをする。そのたびに心臓がきゅんとなる。再発は大丈夫だろうかと。
 命に限りはある。それならばこそ自分の人生は自分らしく、やりたいことをして生きたい。
そのためにまずは体を変える
     体が変われば心が変わる
     心が変われば毎日が変わる......。
まだまだ、歩き始めたばかりだが、私なりの10年後を目指して、私は今日もカーブスに通い続ける。コーチの方々の明るい声を励みにして。