まだ見える、まだ聞こえる、
まだ、やれるカーブス。
「体年齢、69歳です。3年ガンバリましょう。毎日水を2リットル、お菓子をやめて、食事に気をつける。必ず、週3回以上ワークアウトに来てください。」嘘でしょう、と思ったけれど、入会を迷う暇など無くおびえていました。
体重は69.9kg未病総合商社状態の体で、そのうち癌になると医師に言われていたからです。ウォーキングで、減量できない。ストレッチをしても効果がないと、嘆くと動きがたらないといわれて血圧が高くなる。自分で取り組むには限界。助けてほしかった。
これが始めの一歩。2ケ月くらいたつと、激しいめまいが、襲う。環境の変化に、体が驚き持病のメニエール氏病がでました。それでも、痩せたかった。頭の安定と吐き気がおさまると、カーブスです。「ゆっくりやりましょう、無理はいけない。通えることは、凄いことです。」半年たって、体調はどうかと聞かれて、重病人に何を言うかと思ったけれど、辛かった冷え性が楽になり、夜よく寝られるので、ありがたいといえない。
コーチは、親切なのに私は、目先の結果だけが欲しかった。痩せない、このままではいけない、すがる思いでプロテインを始めてみますと、少しずつ、体重が減り始めたのです。子宮発育不全でホルモン異常があるために、痩せにくい体が少し減ったのです。すると、子宮のびらんも緩和してきて、奇跡です。
かゆくてたまらず、毎週婦人科通い。それが今では、とても落ち着いている。私は筋トレに助けられている。もう少しがんばれば、元気になれる。
もしや、癌もまぬがれるのではと、思っていた4年目、ついに乳癌を発症。これは、覚悟のことでしたが、ショックだった。長い間病院を変えずにいたおかげで、先生は私の異変にすぐ気がついてくださったのです。「すぐ手術しましょう。」今なら治る。といわれても、カーブスをお休みすると太る。ホルモン治療をして、元に戻るのは、嫌だ。
ステージ1でも、弱い身体を守れるか命の時間を考えると、怖くて泣けた。癌だからしばらく休む。「私やめないから。」カーブスで元気になると決めている。鍛えた体は必ず手術に耐え体を守ってくれる。肺と骨に転移があるならワークアウトは無理だと涙を拭いて、手術に臨みました。
大変なのは、この先。
確かに傷の治りは速く、手も十分動いて、看護師さんは、たまげ顔。私と何もしない患者さんとは、確かに違うのです。
放射線治療と投薬が始まると、うつ状態が続く。大丈夫。カーブスへ遊びにいこう。なんかすっきりする、辛いことを、忘れるあの場所が好き。でも、癌も頑張る。薬の影響を受けて視力低下、回転性の目まいのために、聞こえの悪い耳が、ますます聞こえない、放射線肺炎になる。右手が大きくはれ上がり、リンパ浮腫、大腸ポリープと次から次に癌に繋がる辛いことばかり。
それでも、負けない。
右の肺が肺炎になり、とても苦しかったのに、高熱が出ず、気づかぬうちに治っていたのです。高熱が出なかったのは、不思議なことで、先生もびっくり。
左は炎症があり治療中です。痛い体は、カーブスで直す。大事にしても、手も足も動かない。少しずつ、私は丈夫になっている。
秋のお彼岸の頃、猛烈な体の痛みで病院を受診した時、「かわいそうだけど、助けてやれない。」と先生。神経ブロックは嫌です。私流で考えます。薬の響きだから、動かして直すしかない。カーブスで様子を見ながらやってみよう。
ゆっくり動かすことで、血流がよくなる。負荷をかけることで、体が慣れてくるはず。おかげで今のところ痛みも、しびれも、いくらか、楽です。痛みをこらえて、サーキットを2周するのが、涙物状態の日もある。素敵な仲間は、私に健常者への夢をみせてくれる。コーチは、私の目と耳になってくれます。最後の一息その瞬間まで、自力歩行したい。
生きて、5年生存経過観察を過ぎた年、プラチナ会員です。その日を夢見て、元気になったよといえますように。