「しほさん、その手どうしたんですか?」広島楽々園カーブスに新しいスタッフが入る度に聞かれるこの質問。私は答える。「これはね、ストレスが原因でなるの。」私の手湿疹には、六年の歴史がある。
平成二十年七月十七日、私は四人目の女の子を産んだ。帝王切開だった。上三人は普通分娩だったし、体の回復も毎回とても早かったので四人目の帝王切開をあまく見ていた。一度も里帰り出産をせず、一人で全てをやってきた自信もあった。しかし。手術中、おなかを縫合している最中に執刀医の医師に「子宮の収縮がすごい勢いで進んでいるので子宮収縮剤は使いません。後の痛みがものすごいと思われますので、モルヒネ(強力な鎮痛作用目的)を微量入れ続けておきましょう。と言われた通り、その日の夜から激痛が私を襲った。丸二日も一睡もできないほどの痛み。退院の日にはいくらかましになってはいたが痛みとの戦いに疲れ果てていた。家に帰るとすぐに山盛りの家事が待っていた。まず赤ちゃんのお世話。授乳、おむつ・お風呂。そして家族六人分の食事、片付け、掃除・洗濯。上三人も七歳・五歳・三歳でまだまだ手がかかる。幼稚園や習い事の送り迎えに小学校の行事、お母さん達のおつき合い。早朝から深夜までくたくたになるまで動き続け、疲労しすぎて寝る時は意識を失いかけてぎりぎりベッドにたどりつくような毎日。そして夜間には授乳に何度も起こされる。
そんな毎日をなんとかこなしていたが、三ケ月程経った頃から、手の指や甲に湿疹ができ始めた。考えてみると、確かに毎日の家事に加え、自分を含めると五人分のシャンプーやドライヤーで手を痛めつけている。クリームを塗ったりもしてみたがどんどんひどくなりそのうちにステロイド剤を塗るようになったがそれでもみるみる悪化していき、あっという間に全身に広がっていった。全身というのは本当に全身で、顔、首、胸、お腹、背中、おしり、太もも、ふくらはぎ、すね、足首までが湿疹だらけ。そして最も症状がひどいのが手で、常に赤くただれていてかゆみがあり保護の為の綿の手袋を一日に何回も、いや何十回も交換しなければならないほどだった。この頃は毎日ヒマさえあれば身体や手をかきむしり、汚れた服や手袋を着替える、そして家事や育児をこなす・・・・・自分の楽しみなどゼロだった。
今思えば地獄のような生活だが、元々楽観的な性格だからなのか、苦しみ嘆くような事は全くなく、淡々とこなしていたように思う。ただ、外出するのは憂うつだった。顔も赤くただれていてお化粧もできないし、真夏でも全身を覆う服と手袋が欠かせない。そして、誰かに出会うと必ず驚いた顔をされる。
そんな毎日が何ケ月か続き、ある時、そんな状態でも通えるリンパマッサージがあると聞き、リラクゼーションの為に週に一度通うことにした。そして健康に関する本を何十冊も読み、食べる物や生活に気を付けるようにしてから約半年後。症状が少し落ち着き始め、顔も少しならお化粧できるまでになった。しかしそれからも健康的な生活を続けるように心がけたが、手や腕、首などはなかなか良くならなかった。帝王切開で弱っていた身体に、過度に忙しい生活をしてしまった代償は大きく、自分
一人で全ての家事・育児をやり続けている限りは改善しないだろうということで、大学生の頃から住み続けて大阪を離れ、広島の私の実家に家族全員で引っ越す事が決まった。
広島に戻ってからも環境の変化というストレスから一時、症状が悪化したが、やはり両親、特に母の協力はとても強力で、だんだんと良くなるかのように思えた。 しかし新たな身体の変調が。長年、抱っこやおんぶや重い荷物を持ち続けていた為か、肩や腰に痛みが出てきた。だんだんひどくなり幼稚園の送り迎えに歩くのがしんどい程に。ここでカーブスに出会う。同じような悩みがあった友人と母と同時入会。
始めて一週間で肩と腰の痛みがやわらぎ、何ヶ月か通ううちに今まで何年もかけてやってきた色々な健康法を全て足したような効果が出始める。肩と腰の痛みは日常生活には問題ない程度にまで軽減、さらに湿疹も、手以外はどんどんよくなった。
カーブスに出会って丸三年以上が経った今も手だけには湿疹が残ったまま、良くなったり悪くなったりを繰り返している。体調のバロメーターでもある手湿疹は、私にとってはもう長年の戦友のような感じでずっとつき合っていくしかないのかなと思っている。でも、カーブスに通い始めてからは全身に広がる事もなく落ち着いているのだから、ストレス解消法としてもとても役立っているように思う。
 そして、一年前にはずっとあきらめていた歯科医師としての復帰も実現した。もちろん家族や周囲の人達の支えがあってこその今の状況には違いないが、カーブスが私自身の底力をつけてくれたような気がしてならない。スタッフの方達との毎回のたわいないやりとりにも愛情を感じる。行けない日が続いてしまい、久しぶりに顔を見せた時にも全員が笑顔で迎えてくれる。通い続けていると色々と成果も出て、カーブス広島楽々園の中から母と二人選ばれ、張り出された事もある。
 今では長女と次女が入会し、家族で行ける時には楽しく盛り上がる。三女と四女も入会を心待ちにしている。四人の娘達と私と母が一緒に来る事になったら、六人になるから、カーブス楽々園の店内での割合がすごいねと近い将来をスタッフの方達と笑顔で語り合う。
他のメンバーさんも話に加わり、笑いであふれる店内になる。
 最後に。広島楽々園カーブスに新しいスタッフが入る度に私の手を見て言う「しほさん、その手どうしたんですか?」という質問は、これからも繰り返されるだろうけれど、私は今後こう答えようと思う。「これは私の持病だけど、相棒でもあるの!」そう思えるきっかけを作ってくれたカーブスに感謝です。