カーブスエッセイ大賞2018結果発表

作品詳細

佳作

「何故カーブスに通い続けるの?」

幸子様(66歳) カーブス八王子みなみ野(カーブス歴:5年9ヵ月)

 カーブスの会員証が金色に!
私、週に四日か五日は通っています。 朝一のスケジュールに組み込まれているのです。何故、そんなに頑張って通い続けるのか改めて考えてみました。
 もう十四年前になります。九十三才の母が施設で暮らしています。アルツハイマーを患い、家で暮らす事が出来なくなってしまったからです。道がわからなくなり、帰宅出来なくなって、タクシーやパトカーで帰ってきたり、が続きました。「家に居てね」「ハイハイ」と言っても忘れて、買物に出て家に帰れない日々が重なりました。
 皆、仕事が出来なくなり、施設で暮らす事に。私はあの人を残しては先に逝く訳にはいかないのです。
昨年のエッセイにも書きましたが、共に母を守り支えていた姉が、あっという間に彼方の世界に旅立ってしまいましたから、私は母を残しては死ねないのです。それに、今一人、母と同じ頃に義妹が若年性アルツハイマーを患い義母と共に施設に入所したのです。
 二人は千葉の館山で一緒に暮らしていたのですが、その義母もアルツハイマーだと診断されてしまったのです。一時、私は三人のアルツハイマー患者を身内に抱えていたのです。
 私の母は姉もいたし弟二人、私と四人で支え、施設を探し、諸々の手続きを分担して、乗り切る事が出来ました。
 千葉の二人は悲惨でした。アルツハイマーの義母を同じ病の妹が世話していた訳ですから。私がまめに訪れてはいたのですが、二人の病に気付くことは全く出来ませんでした。
 部屋が、かなり散らかっているなとは感じていましたが、私は嫁です。散らかっているからと掃除を始めるのは嫌みになるかなと考えてしまったのです。二人の病が見つかったのは、義母が暮らすのに過ごし易い家に改築しましょうよと話し合い工事する事になりました。
 義母はもう動けないので私達夫婦と妹で片付けを始めたのです。が、妹が全く片付けが出来なくなっていたのです。それでも私達はあの病の為に出来ないんだと解らず、何故、何故と奇妙な不安に襲われたのをハッキリ覚えています。 その後、私が訪れた時に妹が「さっちゃん、私、病院に行ってるの」と話しかけてきたのです。彼女が指すほうを見ると、ダンボールを切って張り付けたところに日付を書いて印がつけてあったのです。よく見たら月に二回病院に通っていました。咄嗟に私は鬱ではないかと感じたのです。少し元気がなかったし、表情が乏しくなっていたので。
 それもアルツハイマーの症状の一つなんだと後で知りました。カレンダーがあるのに、ギザギザに切ったダンボールを張り付け私に見せた妹。私は又病に気付かず見逃がしてしまったのです。
 ノートでもなく、メモ用紙でもなくギザギザに切ったダンボールに書いてあったのに、見抜けなかったのです。妹の通院を知り、すぐ又夫婦で会いに行きました。銀行に連れて行きましたがカードが使えませんでした。暗証番号も忘れてしまっていました。痴呆の症状です!慌てました。早速MRIの検査を。結果アルツハイマーの診断。同居の母も同じ病だと知らされました。
 十四年前の七月、暑い盛りでした。その月は東京と館山を夫婦で行ったり来たり半月以上館山に宿泊をしました。 二人を安心して看ていただける施設探しに必死でした。役所の手続き、面談、銀行の手続き、書類の整理等々を済ませ、やっと安心出来る施設を見つける事が出来ました。 泣いてる時間はありませんでした。私達二人と子供達二人と皆で協力して二人を安全な場所に落ちつかせなければならなかったのです。とても信頼のおける温い施設を見つけました。ありがとう、お世話になります、よろしくお願いしますと預けて帰宅しました。
 家の改築工事も始めてしまっていたので同時進行でしたが、きれいになった家に二人は住む事は叶いませんでした。妹がニコニコと選んだベッドは今もビニールが掛かったまま、誰も戻らない家に置いてあります。
 義母は施設で穏やかに暮らし、八年前、桜の咲く頃、静かに旅立ちました。若年性アルツハイマーは長生き出来ないと言われましたが妹は生きています。流動食で100%介護者ですが、未だ口から食べ物を入れています。奇跡だと言われています。最初の施設で大切にされ、今の所でも大事に看て頂き命を繋げています。
 二年前、最初の施設で「幸子さん、生きているのが奇跡です。しかも口から食べているなんてまさに奇跡です」と言われました。
「有り難うネ。ここで大切にして頂き、今の所でも大事にされて、だから生きているんだよネ。有り難うございます」とお礼を言いました。
 今も私、月に一回母に。月に二回妹に会いに行っています。母はもう私を娘だとは解りません。妹は最初に言葉を失いました。次に字が書けなくなりました。あんなに散歩が大好きだったのに歩けなくなりました。少しずつ少しずつ出来る事を奪っていく恐い病なんです。でも妹に会いに行く度に私は耳元で「幸子さんだよ、来たよ」と声掛けするのです。ホッペを押し付けてきますよ、今も。
どこかで繋がって私にサインしてくれるんだと思います。凄いでしょ!私はこれこそ奇跡だと強く感じています。
 返事はなくても歌を唄い、マッサージをして帰路についています。だから私は母と妹を残しては死ねないのですよ。私を待っていてくれているんです。
 私がカーブスに通い続ける理由。健康維持の為です。元気に生きる為です。 あ、それに大切な仲間が出来ましたから。一緒に旅行したり、ランチしたり、映画を観たりする仲間が出来ましたから。
 私のかあさん、そして妹よ。
二人共、命ある限りガンバだよ。
 又、元気印の幸子さんが会いに行くからね。もうすぐ桜が咲きますよ。
 春がかけ足でやって来てるよお。

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