平成二十三年東関東大震災の項、右腰あたりに純い異和感がありました。暫くは震災の後片付けに追われ、五月頃近くの整形外科を受診しました。医師の細かな説明はなく、「運動」との事でした。漠然としていて何をどうして良いのかも分からずに不安になり、筑波大学附属病院水戸協同病院の整形外科を受診しました。たくさんのレントゲン写真を見て、医師は「骨盤に変形があり、両足の長さに差があります。原因は分からず、手術も難しく薬やコルセットもなく、現代の医学が通じないのが整形です。将来歩く事が困難になります。」運動を勧め「腹筋」、「背筋」の大切さを話されました。
丁度その項「カーブス体験半額」の広告が新聞の折り込みに入り、早速体験に行きました。当時対応して下さったS店長はいつも穏やかで温かく「如何でしたか」と声をかけて下さいました。心のどこかで病を受け入れられない自分がいて上の空で聞いていました。たった三十分の運動で背中がポカポカと温まり心地良さを感じました。
 病を治す術(すべ)も見つからず、すがる気持で通い始めました。腰の異和感も二カ月位でなくなり、医師に報告すると、「お相撲さんでも四股を踏むのに三カ月位かかるのに、すばらしい」と話されました。始めの一年位は頑張れば治る様な気持になり、週四日カーブスへ家でのストレッチもしていました。そんな姿を見てコーチの方は「疲れませんか、身体を休める事も筋肉づくりには大切ですよ」と教えて下さいました。それ以来週三日を目標にしています。
いつも混んでいるカーブスも、その日は比較的空いていました。いつもマシンに乗る時前の方が降りてからと心に決めていたのですが、「ヒップアブダクター」に移ろうとした時、引力が作用した様に前の方が降りきらないうちに移ろうとしてしまいました。こんな事は始めて、「ごめんなさい」と謝ると、その方は和やかに「お近くですか」と声をかけて下さいました。そして時々お会いすると「郷里のお母さんに、私が似ていること」「今日は良い日になりそう」と貧弱な私をハグして下さいます。品性のある素敵な「H子」さんに心の中で憧れていました。何て嬉しい出会い、私のほうこそ生きる力を頂いているのです。
 平成二十六年八月末、前日に人間ドックを済ませ、当日午前中カーブスへ行ってきました。夏にしては涼しくどんよりと曇っていました。早めの夕食をとろうとした時、天井を箒で掃いたような、大波がおしよせるような目まいが起こりました。横になり夫に「救急車」と伝えるのが精一杯でした。今迄にない強い吐き気や目まい救急車の来る迄とても時間が長く感じ、朦朧とした中で「早く病院へ」とくり返していました。病院ではすぐ脳のCT検査をし、目から起きている「回転性めまい」と診断されました。医師は「原因として疲労・ストレス又、気圧の谷です」と。その数ヶ月前に、夫が肺炎でICUに七日間入院し不測の事態も告げられたのです。予想もつかなかった現実に疲労やストレスがたまっていたのかもしれません。目まいも少しずつ良くなり六日目で退院しました。医師は「こんなひどい患者さんも珍らしいですが、回復力の早い患者さんも珍らしいです。運転中に目まいは起きませんので少しの目まいなら運動も気をつけてしても良いでしょう」と、両手で温かく背中を押して下さる医師でした。
・にこやかに治りますよと医師の声
 明日は退院揺れるコスモス
 それ以後も雨の降りそうな時、曇りの日等目まいが少しある時でも、カーブスへ行きたいと思う気持が強く、家を出る迄ソファに横になり行く日もありました。血流が良くなるのでしょうか。不思議と家事がスムーズに出来るのです。
 長い事、日課としてきたウォーキング、心を癒すフルート等、腰に負担のあることが難かしくなりつつあります。
 食生活や健康面等注意して生活してきましたので、未だに「どうして」「なぜ」の気持が拭えず心の折れそうな日もあります。そんな時でも細やかな心配りをして下さる店長始め、全力で応援して下さるコーチの方々、明るく元気なメンバーさんにお会いすると、もう少し頑張ってみようと思うのです。今出来ることを大切に現状維持を少しでも先に延ばせるように続けて行こうと思います。
・混み合えるスポーツジムの受付に
 水仙の白活けられてあり