大好きだった姉が死んでしまった。
私は五年前の八月にカーブスに入会した。
翌年の二月半ば過ぎ、施設に認知症で入所している母に一緒に会いに行った。
昼食を食べる母を二人で見守り終え施設を後にした。次は二人で美味しい近くの和食の店へ向かった。
 姉はビールが大好きで、飲めない私は「ビールくらい飲みなさい」とはっぱをかけられていた。中ジョッキなら飲めるようになった。
 その日「いつもの胃薬飲んでも胃が痛いから今日は飲まない。明後日医者に行ってくるから」と二人で食事のみで済ませた。
 二日後の電話「幸子さん、膵臓癌だった。ステージ4だって」返す言葉が出て来ない。「幸子さん、私頑張るからね」と淡々と言っていた。
 看護士を長くやり、保育園の園長で定年退職をし、請われて週4日関連の仕事を続けていて忙しく動き回っていた人だ。
 その後築地の癌研で再度検査、同じ結果でステージ4の膵臓癌。
 治療が始まった。最初は二日泊まり、後は週に一回の抗ガン剤治療に通っていた。
 元気に暮らしていて仕事も続けていた。
 四月末に新宿のデパートに見舞の返礼品を一緒に選んでと頼まれ、選び終わったあとに昼食を共にした。やはり和食の店だった。
「幸子さん、今日は何を食べても美味しいし味が解る。薬飲んでると何を食べても苦いのよ。身体の為に食べてるんだ。でも今日美味しい。」とニコニコ笑って食べていた
 それが姉とした最後の食事になってしまった。
 五月連休も姉は飯能にある別荘に長男と一家と出かけ、孫と楽しく元気に過ごしていた。
 連休から間もなく姉からメールが来た。とても具合が悪くて入院するからと。
私は白内障の手術があったためにすぐに見舞いに行けずにヤキモキしていた。
 私の手術が終わり病院に行けたのは六月初めだった。
 新宿で別れて以来の元気な姉はそこにはいなかった。別人の姉がベッドに居た。
 その日から私は毎日病院に通った。週に四日か五日は通っていたカーブスも行かず。
 入院から一カ月後、七月七日の早朝に姉は逝ってしまった。
 姉が死んでしまった。63才で。
私は毎日何もやる気がおきず泣いて暮らしていた。
「カーブス辞めよう」年末に教室へ行き店長に話した。店長は「幸子さんは体操だけさっさと帰っていたけど、色んな人にあの人どうしたのって聞かれたのよ」と言って下さった。私は答えられないまま辞めますの言葉も飲み込み帰宅してしまった。
 当時の私は誰とも話さずカーブスへは体を作る為だけに通っていたのだ。
 年も明けて一月末くらいに教室近くの花屋で春の花を選んでいたら「カーブス辞められたの?貴女みたいに元気な人が来ないと淋しいわ」と声を掛けて下さった方がいた。
 私はこのまま帰宅したらカーブス辞めちゃうなと直感。その足でリサイクルショップに行き体操着スニーカーを買いカーブスに足を向けた。
 店長が「あら、幸子さん来たぁ」と満面の笑みで迎えて下さったのだ。
 七カ月間私はカーブスを休み続けていた。私は復活した。辞めなくて良かった。
 声をかけてくれた沢山の仲間達よ
そして、いつも明るい笑顔で迎えて下さるスタッフの皆さん、ありがとう、本当にありがとう。
 今年の七月七日が来ると大好きだった姉を失って丸々四年が経つ。
 姉ちゃん、私は元気にとても元気に生きているよ!