大震災があった2011年の3月、広島に住んでいた私は、夫を亡くしました。夫も広島に住んでいたので震災で死んだのではなく、病気でした。
私は葬式の後、持病の坐骨神経痛が激しく動けなくなり、1ヶ月入院しました。ずっと寝たきりで、退院してもトイレまで歩くのがやっとでした。私は、広島の山奥で住み続けることが不安になり、娘(三女)のいる埼玉に出ていきました。新しい環境で狭いアパートできゅうくつな毎日でした。外出する機会も少なく、同居する娘夫婦に気がねをしていました。その頃は近所の理学療法(病院)に通っていました。杖がいらなくなったのですが、今一つものたりませんでした。


2011年夏に群馬の長女の所に行きました。長女の自宅は持家で広く、一つの部屋をかりて寝泊りしていました。ヨロヨロ歩く姿を見て、長女はカーブスに通うことを提案しました。以前、数年前に長女宅に来た時体験はしましたが、続ける気力はありませんでした。「カーブスに行かないと、夕食はなしよ!」と強迫され、イヤイヤ行きました。家からカーブスまで約10分。その道のりが遠く、しんどかったです。しかし、毎日がんばって続けていくと、少しずつ慣れてきて、体もしんどくならなくなりました。最初は、マシーンも力が入らず弱々しい姿にインストラクターの方も心配していつも助けてもらいました。長女も「時々トンチンカンなこと言う」と認知症になることを心配し、「運動は、認知症予防になるからカーブスに行くように!!」と、いつも言われていました。


11月頃になると慣れてきました。①スタスタ歩けるようになった②食欲もわいてきた③脂肪が減り筋肉がふえ、スタイルよくなった④オシャレもできて外出ショッピングもふえた⑤広島の友達に会いに一人で行くことができたと、いろんな効果がでてきました。カーブスの後は、さらに遠いスーパーまで歩き買物をし、家事も積極的にこなすようになりました。
それらはすべてカーブスのおかげだと思ってます。各マシーンで全身の筋肉をくまなく動かし、テンポの良い音楽で足ぶみをし、みんなの姿をみることが楽しいです。メンバーの人は、服も顔も体型も違うので見るのが楽しく、みんなががんばってやっていると、やる気がでます。


冬になるとメンバーの方がふえて、少し待つこともあります。「みんな休まずにがんばって来ているんだな」「カーブスに来ることが楽しみなんだ」と思っています。
入会したばかりの時は、お化粧もせず髪もボサボサだった人がきれいに美容院に行き、生き生きした姿になっていく様子をみて、自分も元気になっていったこと、そんな人が多いことに勇気づけられます。娘が言って強制的に行かされていたのが自分から主体的に積極的になりました。
カーブスに行くようになり、友達もふえ、娘と一緒に飲み会に行ったり  「やあ!」とあいさつすることも多いです。たまに、祝日でカーブス休みなのに、歩いて行って、がっかりしたこともあります。カーブスはすっかり毎日の生活の一部となりました。一日が早くすぎます。
毎朝、娘と一緒にカーブスプロテインをのんでいます。おかげでカゼもひきません。プロテインのんで、運動、人とのふれあいがカゼのウイルスもよせつけないでいます。
私は70歳、動けるうちにどんどん外出して自分の好きなものを食べ、洋服も買ってオシャレしたいです。今まで苦労してきたので人生今が一番幸せかと思ってます。
私が生きている限りはカーブス通い続けたいです。