カーブスに入って4年目、入った動機はごく有りがちな運動不足、痩せたい(LサイズからMサイズへ)であって、たまたまカーブスのチラシが入っていたので入会したという簡単な理由です。その時はまだ働いていたので週に1回位で、夜になったり土曜日だったりで熱心な会員ではなかった。しかし3年前に倒れてから、症状はてんかんの一種で若い時になるのは有るが、ある程度歳を得てからなるのは珍しいとも言われた。その前期症状として字を書くときに震えが出始めていた。私の母も手が歳とって手が震えていたので、さして不思議に思わずにいた。母は最期は脳梗塞で亡くなったが遺伝性ということに気付かなかった。私が倒れた時に彼がいたので、病院でその時の経過について語ってくれたお陰で薬は飲んでいるがいまだ別に異常なし。可哀そうなのは姉であった。姉も倒れて急に亡くなった。姉は私より震えがひどく、何回か倒れたそうだ。しかし、一人で病院に行くのでその時は別に症状はなく何でもないと言う事で帰ってきていた。脳のMRIも異常なく疲れでしょうと言われた。私も脳のMRIは異常なく脳波が少し違う波形が出ていた。
姉も脳波を取っていたらまだ生きていられたかもしれない。遺伝は避けることが出来ない。

 65歳で仕事を終わりにしてカーブスには週に3回来るようにしている。2年前には膝を交差点を渡るときに急に走ったときにカクッときて痛みが走り歩くことが困難になった。膝関節変形症と病名が付いた。医者に行くと水を抜かれ、注射をしたりでその場の治療でしかなかった。その時思ったのは化学治療より筋肉を付けることだと思い、カーブスには行くのに歩いて25分往復50分近く歩いていた。まず動かせる筋肉をこのままだと駄目にしてしまうと思い、最初は彼に送り迎えしてもらい、だんだん自分で杖をつきながらカーブスを続けた。そのお陰で治りも早く、片方の足の負担が少なくなっていった。

 その時にカーブスに行っていて本当に良かったと動機はたいした事はないが思った。
自然に体重が減っていき−5キロ減になりMサイズの服が着られるようになっていた。
今はカーブスに行くのは生活の一部となり、測定日に体年齢が10歳若くなるように頑張っている日々です、現在9歳の違い、体年齢が先か、誕生日が先か目標に向かって楽しんでいます。
カーブスに行くのに大きな意味や目標は必要ない、シニアにとってこの先何が起こるか分からない。まず始めることが一番大事です。