カーブスエッセイ大賞2018結果発表

作品詳細

佳作

「かけがえのない場所」

敦子様(60歳) カーブスイオン札幌桑園(カーブス歴:10ヵ月)

 私は、23才で結婚して夫の仕事の関係で札幌市から美唄市に引越してきました。立て続けに3人の男の子が生まれ、前に一人、後ろに一人そしてもう一人を引き連れてという生活を長くしていました。28才から近所の子ども達に習字を教える事も始め、家の障子は皆、ビリビリに。壁には黒いアートが・・・!!家は長屋になっていて、雑草の茂みで猫が子供を何匹も生んだり、お隣ではウサギを飼っていたので子ども達がキャベツを持っていくと言います。まるで自分の家なのか他(ひと)の家なのかわからないような楽しい生活でした。美唄市は北海道でも有名な豪雪地帯です。屋根まで雪が高く降り積もり、子ども達は家の前でスキーをしたり雪だるまを作ったり。ある日、起きたら戸が雪で開かなくなり夫は、トイレの窓から脱出して、どうにか仕事場へ行ったりしていました。少し離れて女の子が生まれました。私にとっても周りにとっても待望の女の子でしたが大分成長が遅く3才の時にも自分の年が言えませんでした。小学校に上がる前に軽度の知的障害と診断され、私は入学式の時、この子のおむつを持参して先生に預けました。この娘と一緒に普通学級や特別学級に行き来しながら学校への坂を通いました。一緒に体育の授業をしてグラウンドを走ったりサッカーをしたり。音楽では娘と一緒にリコーダーの穴にシールをつけて勉強しました。粘土も一緒にこねている内に母の方が夢中になってしまったり、休み時間にはドッチボールをしました。娘は人の輪の中に入っていく事が苦手でしたので、私がまず中に入って連れ込むというスタイルでした。先生達はすごく協力してくださいましたけれど、「毎日が参観日」というので大変な面も多かっただろうなあと思っております。子育てが一段落した頃、毎日座る習字の教室と常におぶっていた生活とで歩く度に膝がカクンカクンして、よく歩けなくなってしまいました。サポーターなどをしましたが、長い間の古傷になってしまったのか階段の上り降りの度に痛みが走るという状態でした。私が50才になって、自分の親の年取ったことに気づきました。母は当時77才でしたが、腰をかがめ、晴れている日も長い傘を持ち歩くようになりました。一人娘の私は、「これは、いかんなあ。」と思い、介護ヘルパー2級と車イス介助の資格をとりました。一昨年、美唄市から札幌市に引越し週二回、小樽にいる母の身のまわりの世話をしています。そんな折、肩こりがひどく以前からの膝の痛みもあり、近所の「カーブス」さんへ通い始めました。始めは、コーチに教えられるままにマシンを使って運動していましたが、これがよいものなのかという事がよくわかりませんでした。しかし半年続けた今このマシンそしてその間のボード、終わってからのストレッチが身体全身を鍛えるためのものだという事がわかってきました。77才だった母の方は、もうすぐ88才で米寿のお祝いを家族でします。5年前に父が肺ガンで亡くなってから、猫一匹と一人ぐらしをしています。幸い、多くの友人に恵まれ、60年以上も住み慣れている小樽の町で周りの人々に助けられながら暮らしています。先日私は、筋トレの成果について熱く母に語りました。すると母は「それはよかったわねぇ。」「それで、その機械は動いてくれるの?」「自分で動かすのよ。」「へえ、そりゃ大変ねぇ。」「・・・・・」
介護の道は多難です。その後、私は「プロテイン」という高蛋白質、低脂肪の飲み物を飲み始めてから膝の痛みが一日寝ると、すっきり解消されるようになりました。私にとっては信じられない驚きでした。コーチはいつも笑顔で一人一人の名前を覚えていらっしゃいます。「〇〇さん、こんにちは!」「〇〇さん、頑張ってますね!」「〇〇さん、今日は調子どうですか?」常に大きくはっきりとした口調と柔軟な対応そして最後に「今度はいつ来られますか?」という問いに「明日はさぼります。」とは言えず、「明日、また来ます!」と思わず言ってしまう自分がいます。その厳しく優しいコーチ達によって、私のウエストは6cm減り、太股は2cm増えて頑丈になりました。小走りに走っても痛くならない膝が嬉しくてたまりません。札幌に来て、私はまた習字を教えたいと思っております。丈夫な身体をいただき、私にとって「カーブス」はかけがえのない場所となりました。筋トレを継続しながら、前を向いて自分が誰かの「希望の光」になれるように精進して行きたいと思っています。

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