ワークアウトを終えてプロテインを飲んでいると同席していたメンバーさんに「長く続けられているんですね」。と声をかけられた。 その日私は"四年目"でもらった記念Tシャツを着用していた。「もう五年になります」。と答えると、 その人は入会して四ヶ月目だと言う。「何か変わりましたか?。どうやったら続けられますか?」。と質問を投げかけてきた。 "私の変化"と"続けられた理由"か。私はふとその答えに考えを巡らす事になった。

 "私に起った変化"はというと体脂肪が減って身体がひきしまった事だ。体格の変化は薄着の季節には特にはっきりと表われ、 後で分かった事だが、隣り近所で噂になっていたほどのでき事だった。週三回のワークアウトに通い半年で二キロの減量にも成功した。 私は世間的にみても肥っているわけではなかった。それでもやせられた。周囲の反応以上に自分が一番びっくりしていたかもしれない。 体重の件は一件落着したものの、その後は私が長年頭をいためていた問題に一喜一優する日々を迎える事になった。 その問題とは。入会の時にすでに抱えていた左坐骨神経痛と右股関節まわりの慢性的な痛みである。それらは私をとことん悩ませ、 頼みもしない不安までも容赦なく連れてくる迷惑な症状だった。

 入会して二年半頃だったか。いつもどおり夕食の支度をしていた時。ストックしてある調味料を出そうとしてキッチンカウンターの前でしゃがむと、 右膝の後ろに何か物をはさんでいる様な変な異和感を感じた。"あれ?"という感覚。その症状は足の屈伸のたびにおこり、 特に三十分程立っていた後にしゃがんだ時は必ず曲がりにくさを感じることに気がついた。しばらく座っていて立ち上がった時も同じ。 やっぱり膝がおかしい。歩き始めはうまく歩けない時もあった。そのうち正座も全くできなくなってしまった。 私は気持ちの限界を感じて整形外科に受診。検査してもらった。ところが特別に異常はないとの診断。どういうことだろう。症状がうまく伝わってないってことだろうか。 どう考えてもおかしいと思ったから診てもらいに来たのに。そんなことがあるわけがない。私は納得のいかない表情をしていたんだと思う。 医師の私を見る目が"わけのわからない事をいう訴えの多い人だ"と言っている様で、私はこれ以上この場所に居ても無駄だとしか思わざる得なかった。

 そんな時、実家の母が入院し手術をすることになった。最寄りの駅から病院までは徒歩で二十五分かかる。 その道のりを週に一~二度通うのである。歩くだけなら膝に痛みや異和感はなく苦痛ではなかった。 そんな生活を数回くりかえしていたある日。畳に座り立ち上がった時にすんなりと歩ける事に気がついた。"あれ?普通にできる。いつの間に"あんなに苦しい毎日だったのに。 その日を境につらかった症状はうそのように消えていった。 ようやく心身共に落ち着きを取り戻した頃。おとなしくしていたはずの右股関節周りの痛みに重だるい疲労感が加わるようになった。 週一回の立ち仕事をする私は一日の仕事を終えると右腰から膝にかけてひどい疲れにおそわれ、家までたどり着けるか心配になるほどだった。 知らず知らずのうちにこの気になる所を私自身がかばっていたのかもしれない。重だるさは両肩から背中までも感じるようになっていった。 仕事の翌日は身体中が痛くて朝の起床に時間がかかった。ようやく起きられたと思ったら全身の倦怠感が強くて家事がどうにもはかどらないから困ってしまった。 アルバイト先からは二日間連続勤務はできないかと聞かれたが、二日めの朝の状況しだいでは出かける支度もままならない。 これさえなければ普段朝寝坊などしない質なのにしかたがない。悔しかったが断わった。怠け心とか言い分けとか 甘えとか思われているんだろうなと心の中でやり切れない気持ちでいっぱいになった。

   何日か経って朝刊を広げていると病気の相談をする欄に私と同じ症状を訴えている人の記事を見つけた。私ははっとして、 すぐさま回答していた医師の病院を調べて翌日行ってみる事にした。バスと電車とタクシーを乗り継ぎ二時間半。 担当になった女性医師はとても丁寧な人だった。私の右股関節の開きが悪い事や身体の痛みがかなり強いこと。 それらはリハビリで少しは楽になるからやりましょうと勧めてくれた。リハビリは週に一回でも有効だと言う。 長年の筋肉の緊張状態が原因で腰も股関節も痛みが生じているらしい。リハビリはその緊張を取り除くマッサージをしてくれるもので、 一回に四十分を要した。椅子に座る時の姿勢も悪いと言われ背すじを伸ばす事と腰のストレッチの二つを教わった。

 三ヶ月が過ぎた。その結果、痛みの方は多少楽になったかなと思う程度だったが、仕事の後のしつこい疲労感からは解放された。 そして何より以前は断っていた二日間連続勤務が負担なくこなせるようになった。このことで私は少しだけれど回復の兆しを覚えたのだった。 私は入会してこの五年間、筋肉の様々な症状にずいぶんと泣かされてきた。今すぐ命に関わるというわけではないが、 日常の生活動作に支障をきたすのではないか、自分の身の周りの事がだんだんできなくなり助けを求めなければならなくなるのではないかと不安になった。 明るい将来が見えず何も手に付かない状況に振りまわされた。けれどもなぜか不思議とカーブスには足が向いた。 休みたいとか辞めたいとかは一度も思ったことがなかった。心のよりどころというか、私の最後の砦だったかもしれない。

 よくよく考えてみるとカーブスを続けていたから身体の異常が出ても、ちょっとしたきっかけで症状が消失したり楽になったりしたんじゃないか。 そういう身体の環境が整っていったんじゃないか―。この五年の間に少しずつ。少しずつ。そんな気がしてしょうがない。 「カーブスに通える」。その事自体が今の私にとってすごく重要で大切なことになっていると思う。バロメーターといってもいい。 大事なバロメーターを見つけたことは、私のゆく末の"旗ふり役"を見つけた事と同じだと思う。 一生のうちで会えて良かったと心から思えるものはそんなに多くはない気がする。そして一日二十四時間の、たった三〇分がとても貴重な時間だと感じることも少ないと思う。 ―いい事をたくさん運んでくれる"四つ葉のクローバーのような存在"―。これが私がカーブスを続けてきた理由と続けられた理由だと思う。