私は現在52才、カーブスに入会したのが47才の時、今年の5月で5年目です。
入会したのは、太った事、ストレス、運動嫌い、何をするのもめんどう、ある日、娘、息子と孫とドライブに行った時、写真をとってびっくり。「えっ、これが私、ショック」顔はまんまる、お肉が沢山つき、洋服もわざと大きく、おなかのかくれるカバーしてくれる、とにかく体重計なんて、あってものらない。こわかったんですね。
スタート時点68.8Kg、身長151、超デブでした。おしゃれなんてできなくて、10代の頃の50~53Kgは夢のようだった。-5Kgを目標にスタートしました。少しずつ、停滞期には体重もかわらず、やめようかと思ったんです。
数年たって、本当にびっくり。68.8から-10kgは、本当にやせました。
それも、きれいなやせ方で。私の身体に気づいてくれる人は、びっくりです。
ここにきて、昨年~今年にかけて、カーブスにも行けない日々があり、また今ではストレス太りでヤバイ体重にショックです。でも、インストラクターの、娘と同じようなみんなにはげまされて、TEL(行かないと)がくる事がストレスになるけどって、はっきりいった事もあります。筋トレしているせいか、ちょっとカーブスを休んでいる時でも、身体はきちんと動かせるのにはびっくりです。
これから、私が書く事は、介護、死を直面している人達に、少しでも同じなんだという気持ちをもってほしくて、書く事にしました。

私は、両親と、妹(知的障害者)、息子と生活していますが、人工透析9年、一周間の内、火・木・土は透析、月・金はデイーサービスにお風呂に入りにいってもらっていた父がいましたが、昨年2012年11月23日に、天国に行きました。あと、一年位は、生きてくれればいいと思っていました。85才の父でした。
12月2日まで生きていれば透析10年目でしたが、身体が弱っていく父を、この目でず~っとみてきました。
昨年は、色々な事がありすぎました。父は入退院のくり返し、透析は本当につらく、心臓もカーテレを何回もやったり、しまいには、認知症、歩行もままならず、家族の助けをうけなければ生活できない状態になっていきました。
母も骨そそしょう、腰椎あっぱく骨折で入院。家でのベッド生活1~2ヶ月。妹(知的障害作業所)に朝~夕方まで仕事に行くのにお弁当を毎日つくったりと、私一人で三人の介護生活が、6~7月頃~始まりましたが、私は仕事をしながらの介護でしたので、息子もいてくれて助けてはくれたけど、結局私が、朝~夜まで一人でやっていたので、とうとう9月に家で過呼吸と介護疲れでたおれて、しまい、救急車でそのまま入院。一週間入院といわれましたけど、2日で家に戻りました。
朝起きて、ごはんを食べさせて、透析日には介護さんがむかえに来る、帰ってくると、昼ごはんを食べさせなくちゃいけない。夜は夜で、ごはんしたく。おなかすくのか(認知)の父は、まっている状態。何もかもイヤになって、もう限界とうったえました。このままでは共だおれだと、早く死んでくれないかとか、色々いい事でない事が頭の中を沢山うかぶんです。
夜中だけでなく、しまいにはベッドの上にいてもすぐ起きてきて、ごそごそ部屋の中を歩いている。一人でだれかとしゃべっている。
ものすごく、ショックでした。なんで父が、って。昔のしっかりしている父のイメージしかなかったので、涙が自然にあふれ、こぼれるんです。
私自身、ごはんが食べれなくなって、お水を口にふくむだけでおなかがいっぱい、精神的にものすごいダメージ、うつ状態。
仕事も、1ヶ月だけお休みしていいといわれ、1ヶ月やすみましたが、結局、介護しながらの仕事はムリでしょうと。結果、辞める事に。(話し合いの結果)そのまま、でも辞めて正解でした。
母の手術後の処置も、家で薬をぬってあげるのも、私達でやる事もあったのでストレス。何もかもイヤになってしまいました。ある日、父がやっとショートステイ、一週間に入院できるとの事。すぐOKして、一週間行ってもらいました。(でも、心も身体も本心休めてない自分です)
それから10月終わり、父を入院させられる病院がみつかりましたと、連絡をもらい、近い所や市内には人工透析を受け入れる病院はなく、千葉の稲毛区の1時間ちょっと車でかかる療養病院に、家族面談の結果、11月5日に入院させました。
行く時、父はわかっていたのでしょう、「今日はこれからどこに行くんだ」と。「今日はね、リハビリをかねた病院。遠くなるけど稲毛までだよ」って伝えると、父は、16号線を車で走っている途中「稲毛か、もう帰ってこれないな」って、ポツリといって。
病院に着いても、車の中からは自分では全くおりる事もできなくなり、車イスで移動。足も色もかわって、冷たく細くなっていた父。
家族で「また、来るね」って一声かけた時、動けない父は力をふりしぼって
起き上がって、沢山目に涙をうかべていた。「帰らないでほしい」と声には出さなかったけど、そう思ったにちがいありません。みてあげたい自分の心の中のモヤモヤと、でももう限界の自分。つらかった。まるで、うばすて山のようだと思った事です。11月5日に入院させて、入院してから19日目11月23日に父は急変して、心肺停止状態で午後4:00から急変、午後4:15頃、当直の先生から連絡、家を午後5:05に出ることしかできなくて、病院に着いたのが、午後6:05頃。
午後6:21、家族立ちあいのもと、眠るように死んで行くと思っていたので、そのとおり、やすらかに、今でも起きて動くようだった。
私は、11月5日に会ったのが最後になって、11月23日死んだ父に、まず「お父ちゃん、ごめんね。今まで強い言い方、冷たい言葉かけて」と涙を流しました。
死から、死の前から、カーブスに行きたくても行けない、一時は辞めようかと何度思った事でしょうか。
父の一周忌までは色々とやる事が沢山あるので、行ける時はカーブスに行けるように。でも辞めなくてよかっと思っています。本当にカーブスのスタッフは、本当に私の体の心配や、私のストレスなど色々と話も聞いてくれて、誰にも言えない悩みも、イヤな顔せず聞いてくれる、アドバイスくれる。本当に感謝しています。
今年どうにか3月に入ってですが、少しずつ心の中は、前向きにどうやらなってきたので、カーブスに行きたいと。でも、何回とか決めると行けない時がでてくるので(そういう時はショック)、決めてというのはやめようかと思っています。

今まで筋トレ、有酸素運動をしてきて、体力もつき、本当に身体・心のケア(メンタル)面では、とにかく変わっている自分。前向き、楽しい、かぜをひかなくなった、いい事だらけのカーブス。ぜひ、日程を決めないで、好きな時に行く、それだけでもちがうという事に気付かされました。明るい気持ちになれますから。
私も自分の母親(今年78才)と同居していて、親子だからこそのストレスが今も多々あります。だからストレスで、いま体重がマズイ状態。ショックです。
あたたかくもなってきますので、私なんて自宅からカーブスまで本当に近いので、すぐ行こうと思えば行けるのですから、これからもゴ-ルドカードが欲しいので続けます。

書きたい事はもっとあるのですが、今回は介護経験しながら大変ながら、筋トレの大切さをつくづく思わされた。同じような、介護で大変な思いをしている方々が全国にいらっしゃると思います。がんばらない介護です。自分もたおれてしまいます(私のように)。
これからも大好きなカーブス。続く事の大切さ。美しく、きれいで若々しくいたい。おしゃれもファッション、50才すぎて楽しい人生を送りたい、といつも自分で思っています。
きれいな、年のとり方をとっていきたい。(これって、ステキな事だと思います)