「悲劇」から「成功」へ
日本の皆さん、こんにちは。日本の『カーブス・マガジン』創刊号にメッセージを寄せることができ、大変うれしく思っています。
私が13歳のある朝、スクールバスが通る音に目を覚ましました。すぐに母の部屋に行ったとき、私はベッドに横たわったまま息を引き取っている母を見つけたのです。母はその数週間前に40歳の誕生日をお祝いしたばかりでした。母は長い間、高血圧、うつ病、そして肥満に悩まされていましたが、この母の死は私にとって余りにも突然でした。今思えばおそらく要らぬ死だったと思います。何年もの間、母の病気を治すための様々な薬を、医師はまるで母が医療モデルでもあるかのように与えていました。もしあの頃、運動をする場所と周りの女性たちのサポートの力があったならば、母は今でもまだ生きていたのではないかと私は思うのです。
まだ子供の私は母親の死の意味を理解していませんでした。しかし、母の死という大きな悲劇が、私の中で、女性を守るんだという強い思いに次第に変わっていったのです。医師になりたいと思い大学に入り、医学予科の勉強を目指しました。しかし、医療だけでは母のような人達を助けることはできないと知り、人を健康にする仕事を志すことにしました。大学を中退した私は、女性向けのヘルスクラブをオープンしました。私はそれまでの勉強をいかして、何百人という女性にフィットネスと栄養の正しい摂り方についてコーチをしながら病気予防に役立つ仕事をしました。その時、私は女性と仕事をすることが楽しかっただけでなく、自分には合っていることに気がつきました。25歳までに6店舗、30歳までには14店舗まで増やし、女性向けフィットネス・ビジネスで若くして成功を収めたのです。しかし、私の若さではビジネスの世界の厳しい試練に耐えることはできず、結局30歳代で持っていた資産をすべて失うことになりました。
今振り返ってみると、一番多くを学んだのは実は成功体験からではなく失敗体験からであったことに気がつきます。間違いを犯すことは、大きな仕事を成し遂げるための試練のプロセスであることがわかったのです。私がつかんだ成功の秘密は、同じ失敗を二度繰り返さないということでした。37歳の時、妻ダイアンと一緒にそれまで学んだすべての貴重な教訓を活かして、「カーブス」の一号店をオープンしました。「ノー・メン、ノー・メーキャップ、ノー・ミラー」という女性にとって大変心地よい環境で、忙しいスケジュールであっても、仲間と一緒に励まし合いながらわずか30分で完全なワークアウトができるというこのプログラムは、必ず効果を出すはずだと信じていました。
最初のカーブスでも何百人もの女性がとても熱心にワークアウトに通ってくれました。それを見て、私達は2年後に2号店をオープンしたのです。この事業で、すでに家族と過ごす時間も十分にとれたし、収入も十分だったので、私達はようやく余裕のある暮らしをすることができました。しかし、このプログラムは効果があるのだから、運動をもっと必要としている何百万人もの女性達にもこの素晴らしいプログラムを使ってもらうべきだと私は考えるようになりました。そして、カーブスの最初のフランチャイズ加盟店を1995年にオープンしたのです。この結果、大変な成功を収めることができ、一年目で50店舗をオープンすることができました。その後、2年目に250店舗、3年目に500店舗、翌年は1000店舗へと順調に拡大してゆきました。これにより、「カーブス」はもっとも速い成長を実現したフランチャイズ企業となり、ギネス・ブックでも「世界最大のフィットネス・フランチャイズ」として掲載されたのです。
今日、カーブスは全世界50ヶ国以上に拡大し、店舗数は1万店舗を超えました。400万人を超える女性に対して運動をする習慣を身に付けて体重と健康をコントロールする支援をすることができるようになりました。また、私達と同じ想いをもつ何千人もの方がカーブス加盟店のオーナーになることによって社会に貢献できる企業家となる機会を提供してきたのです。私達は、週に3回、30分の時間をとっている世界中の女性の皆さんを大変誇りに思っています。同時に、オーナーとして女性の健康と地域への貢献に尽くしている皆さんのことも大変誇りに思っています。
2007年6月
ゲイリー・へヴィン
カーブス・インターナショナル
創業者&CEO





















