私には、三男一女の子どもがいます。長女が、次男を出産したのは2016年9月5日でした。7日、病院に行き、生まれたばかりの孫を抱っこしました。孫は、元気な男の子で長女に良く似ていました。
 その2日後の9月9日、午後7時ごろ私は家の玄関で足を踏み外してしりもちをつき、転んだ拍子に左肘をどこかにぶつけ、左腕がダランと下がり、左肩に激痛が走りました。助けを呼ぼうにも家には誰もいませんでした。
 やっと、近くの固定電話に手を伸ばし、救急車を自分で呼んで、救急の病院に連れて行ってもらいました。病院までの道のりは、とても長く感じ、「お願いだから早く着いて」と、激痛で額に汗をかきながら、担架に座っていたのを今でも鮮明に覚えています。
 病院に着いて、整形外科の先生に脱臼した左肩を入れて頂いて、やっと激痛から解放されました。骨折ではなかったのが幸いでした。
 医師に、「安静にしてください。痛み止めの薬を出しておきます」と言われ、仕事を休もうかと思いましたが、左腕を三角巾で吊って、次の日も仕事に行きました。その頃は、小学校で教員をしていました。ちょうど運動会の練習の最中でした。多少痛みはありましたが何とか仕事は休まず行いました。
 それから、別の整形外科に通い、約1ヵ月後には、リハビリを開始しました。使わなかった左腕が肩から上に上がらないので、左腕を上に上げる訓練をしました。無理に引っ張るので痛みがあり、大変でした。家では、自分で両腕を上に上げる訓練を毎日しました。このまま、左腕が上がらなかったら、どうしようと不安でいっぱいでした。
 カーブスに通うようになったのは、今から約11年前の2007年11月、職場の同僚に誘われたからでした。その頃は水戸姫子店に通っていました。2008年10月に、笠間店ができてからは、移動してずっとイオン笠間店に通っています。休んだのは、左肩を脱臼したときの約2ヵ月間です。ケガから約1ヵ月後、三角巾を外して左肩を触ると、左肩の筋肉がすっかり落ちストンとしていました。
 ケガから約2ヵ月後、カーブスに復帰し、マシンを動かすことがリハビリだと思いながら、通い続けました。約6ヵ月後には、左肩に筋肉がついて以前と変わらずに、スムーズにマシンを動かすことが出来るようになりました。今では、ケガをした左肩は以前より筋肉がつき、すっかり元に戻りました。
 しかし、この頃は、月初めの計測もしなくなり、だんだんと仕事の忙しさを理由に、通う回数も減っていきました。体重もかなり重く感じていました。体年齢も71歳(実年齢59歳)でした。ケガをしたのも、体重が重かったからかなと思いました。
 2017年7月から人生最後のダイエットをする決心をしました。カーブスには、週3回は通うようにし、マシンでの回数もできるだけ多く行うようにしました。月初めの計測や筋肉チェックも必ず行いました。
 食事では、食後の血糖値が急激に上がらないように野菜を先に食べたり、大好きな炭水化物を食べすぎないようにしたりしました。カーブスでもタンパク質を3日12点取るように言われているので、できるだけ毎食、タンパク質を3点以上取るように心がけました。
 そして、途中から毎日食事日記をつけ、体重は朝、夕の2回測りました。以前から通っていた毎週土曜日のエアロビ教室にも休まず通いました。今年2月の発表会には、初めて会員の皆さんといっしょに参加しました。
 体重は計測の度に、少しずつ落ちていき、体年齢も下がっていきました。今年2月の筋肉チェックでは30代後半の判定、3月の計測では体重は約13キロ減、体脂肪率6%減、骨格筋率は2%増、体年齢が9歳下がり、実年齢に近づきました。きつくて着られなくなったスーツが、着られるようになり、顔見知りのメンバーさんから「やせましたね」と言われるようになったのが嬉しいです。
 昨年、10月30日、私の父が92歳で永眠しました。私は、一人っ子だったので父は私をとてもかわいがってくれました。結婚してからはいろいろあったので、きっと不満はいっぱいあったと思いますが、無理強いすることはありませんでした。
 前日の10月29日は、父の92回目の誕生日でした。私は、長女とひ孫2人とで会いに行きました。父は、元気そうだったので、次の日に亡くなるとは誰も思っていませんでした。人生92年大往生だったと思います。3歳と2歳のひ孫二人(どっちも男の子)の顔も見ることが出来ました。父との別れは悲しいですが、父の歩んだ人生が、私の手本になっています。お父さん、今までありがとう。母は、今、88歳です。母が元気でいるので、自分も元気でいたいと思います。
 父がかわいがった長男は、昨年結婚して、今年6月に孫が生まれます。父は亡くなりましたが、命のバトンは次の世代へと確実に引き継がれています。父に見せたかったけど。
 明日のことは誰にも分かりません。今を元気に生きることが大切だと思います。
 カーブスの入口のドアを開けると、「まり子さん、こんにちは」とコーチたちの元気で明るい声がとびかい、笑顔で迎えてくれます。私は、「今日も頑張るぞ」と元気をもらっています。コーチたちは、メンバーさんの名前を間違わないで呼んだり、私たちのちょっとした変化にまるで、私の子どものように一緒になって喜んでくれ励ましてくれたりします。
 マシンをいつものように動かしていると、コーチが、「ちょっときつくなりますけどこのペースで最後まで」と明るくそして心配そうに声をかけてくれます。その言葉に思わず力が入り、不思議と動かす回数が増えます。
 コーチからマシンの使い方を毎回教えてもらうたびに新たな発見が見つかり、「なるほどな」と思い、次回から気を付けています。
 脈拍測定後、「黄色」とか「緑」と言うと、コーチが「オッケーです」と言って、ハイタッチをしてくれます。帰りには、必ず「お疲れさまでした。今度いつお会いできますか」と聞かれます。私は、「今週、あと1回とか2回」と答えています。
 30分という短い時間ですが、マシンを動かすことでストレス解消になっていたり、コーチとのちょっとした会話にも若くて元気なエネルギーをもらっていると感じたりします。
 今は、「カーブスに週2、3回通うこと」が、私の『生きがい』になっています。自分の健康のために通い続けたいです。孫の成長も楽しみの一つです。孫たちが成人する姿をこの目で見たいのでそれまでは、カーブスに通って元気で健康に過ごしたいと思います。
 今年の3月、あるお医者様の講演を聴きました。人生百年時代を生きるために「貯金より貯筋」、スクワット、ウォーキングなどで筋肉を鍛えることが大事だと言っていました。
 私は昨年3月末で、仕事をリタイヤして、今は学習塾を開室しています。第二の人生をスタートさせた今、父の様に長く楽しく人生を送るためにこれからもカーブスに通って筋肉を鍛えて、体年齢が実年齢より若くなりたいと思います。コーチたちの「明るい笑顔」に支えられながら、カーブスへと足を運びます。これから10年後、20年後も。