(1)始めに
 平成最後の3月、私は喜寿を迎えた。20年も前から、持病の高脂血症と気管支拡張症を飼いならし、外見はいたって健康で人目には齢より若く見えるらしい。25年ぐらい前に、脊柱管狭窄症になりひどい痛みで、大病院や評判が良いと伝えられる整形外科を転々として治そうとしたが、痛みは引かず手術を薦められる状態になった。そんな行き詰まりの時に、立ち寄った書店で「腰痛は必ず治る」とタイトルにある本に出合い、藁にも縋る思いで一念発起し、毎日朝夕その本の示すリハビリを始めた。2ヶ月たっても効果は出なかったが、治ると信じて続けているうちに、3ヶ月頃に、痛みが治まってきているように感じて続ける気力がわいた。そして、2年で完治し救われた。今も痛みはない。この体験から、リハビリや継続することで得る効果や、人の持っている自然治癒力は活用次第なのだと学んだ。
 こうした中で、3年前に足腰が弱まり歩くのが億劫になってきたので、何とかしなければ・・・・・・と、思案していたら、新聞の折り込みチラシの中に「カーブス」の案内を見つけた。
(2)先ずはやってみよう!
 私は9歳の時に脳脊髄膜炎になり、ストレプトマイシンの投与を受けて命拾いしたが、その副作用で完全に耳が聞こえなくなっている。しかし、体を動かすのは一般の方と変わらない。さっそく無料体験に申し込み、見学気分で行ってみた。コーチが聞こえない私に、書かれたものを示し筆談を加えて説明してくださり、皆さんのマシンを動かす様子を目にして、「先ずはやってみよう!」と、その日に申し込んだ。
 それからもうすぐ3年になる。冬を3期超えたが風邪もひかず、今はあんなに苦痛だった歩くのが楽になり去年、日本のマチュピチュと言われる兵庫県の「竹田城址」に登れて、疲れが残らないので、カーブスの成果だと喜んだ。カーブスに参加する前なら、行けない状況だったので本当に嬉しい体験をした。
 そして今は、週に3回以上カーブスに通っている。何にも聞こえないので、皆さんの動きに合わせて移動していたら最近になって、知り合いのボランティアの方から「サークルの運動中は音楽が流れて、チェンジの時は英語で『移動しましょう』脈を測る時は『脈を測りましょう』とアナウンスがある」と教えられた。なるほど皆さん揃って綺麗に移動している。脈を測る時は、コーチが聞こえない私に「スリー・ツー・ワン!」と合図をしてくださり、脈数を答えることが出来る。「大きく早く動かすと効果も上がりますヨ」と、コーチも読話(難聴者が、相手の口を見て話を読み取ること)し易い口形で話しかけ、聞こえない私に配慮してくださる。帰る時には「お疲れ様。又ね!」と覚えてくださった手話で、挨拶してくださるようになった。サークルのメンバーの方々とも顔なじみになり、分かり易くゆっくり話しかけてくださる方も増えつつある。街でお会いすると笑顔の挨拶が交わせる。耳が聞こえないと対人関係が希薄になり孤立しがちだが、カーブスでメンバーの方との心の触れ合いや温もりも楽しめている。
(3)まだ人生の目標が持てる
 今、カーブスは私の生活の一部になった。歩くことが楽しく好きになった。今は桜の季節で、花のトンネルを歩くとスキップしたくなる。最近、50代の方から「肌が若くて羨ましい」と言われた。お世辞?とは思いつつ嬉しい。
 歳を重ねると体の細胞の退化は避けられないが、それを遅らせることは努力で誰でもできると信じる。体が元気だと心も快適になり、生活に張りがでて、まだ人生の目標が持てる。カーブスに通い続けて筋力を鍛え、できるだけ健康寿命を延ばし、願わくばもう少し若返りたい。何年も前から背中が少し丸まってきていると主人から注意されるので、これもクリアして背筋を伸ばして歩けるようになりたい。90歳まで活動できる体でいれたら本望だ。漢字ドリルや数独も好きで、はまっている。物忘れをするので、脳細胞の活性化を願い実行しているが、やりだすと時間を忘れ、何ページも続けて夜中になる時もある。
 人生はまだ捨てたものでない。私の生きるライフワークである、難聴者活動のボランティアも続けてゆきたい。40歳からの無償活動である。現在「NPO法人北九州市難聴者・中途失聴者協会」の副理事長をしているが、今年の総会で理事に降格する予定だ。第2歌集を上梓することや、新たに墨字にも親しみたいと思っている。熟女にはなれなかったが、これからは熟老を目指したい。