「行って来まーす。」朝の用事をすませ今日も出かけます。行き先は30キロ離れた実家。車で50分の通勤です。冬期は別としてほぼ週休二日の勤めです。もう10数年になるでしょうか。最初は、初期の認知症の母が心配だし時々入院していた父の世話が主な目的でした。丁度その頃、三人の子供も自立し、私も動きやすくなっていました。生まれて初めて鍬を持ち、草刈機のエンジンをかけるのに四苦八苦しながら、へっぴり腰で草を刈ったものです。百姓の真似事が始まりました。近所の人に「百姓は毎年が一年生や。」と教わり、ようやくその意味もわかってきました。天候により作物の出来不出来を知り、雨風は作業に大きな手間を取らせます。ところが、だんだん農業がおもしろくなってきたのです。介護の合い間の土いじりは気分を晴やかにしてくれました。今ではすっかり農家のおばさんです。
 三年前の秋、稲刈シーズンのある夕方の事。仕事を終え夫の運転するコンバイン(稲刈機)が作業所へ戻る途中、タイヤから土が道にぽたりぽたりと落ちたのでそれを拾おうとするや否や、体中に電流が走ったのです。何?どうなったの?パニックです。脂汗をかきながらなんとか家にたどりついたものの、腰の痛さといったら、今までに経験したこともなく表現出来るものではありません。気分は悪く食欲なんて論外。横になったら最後、起き上がれず、トイレに行くのは大仕事です。「ああ、私の人生終わった。」と心底思いました。テレビからは、ある女優がガンで亡くなったというニュース。私も寝たきりになって、しまいには......と益々落ち込んでいきました。
 それでも日にち薬とはよく言ったものです。一週間が経った頃には家事も少し出来始め、早速医者通いです。整形外科、整体・整骨院。特に異常は見られず、世間でよく聞く話はこのことだなあ、と半ばあきらめです。でも休んでばかりもおれず、妹やお隣りさんの応援で無事収穫を終えることが出来ました。でも、私の神経は四六時中腰に集中。常に腰をかばい、こわごわの生活を送っていました。
 ある日、近所の幼な友達が「カーブスに行ってるからって、どこがどう変わったかわからないけど、体力は現状維持していると思う。」と話してくれました。前々から彼女がカーブスに通っているのは知っていましたが、運動音痴の私は何か特別な所のような気がして気後れしていたのです。その時、同窓会でぎっくり腰の経験者のひとりが「やっぱり年とってくると筋肉が衰えるから筋肉つけるのが一番らしいよ。」と話していたのを思い出し、思い切って見学に行くことにしました。幸いにも実家の近所にカーブスがあったことが私を後押ししてくれました。ドアを開けたとき、緊張で私の顔の表情筋は固まっていたと思います。「恵美子さん」と呼ばれ、丁寧にマシンの説明を受けながら「ウン、これなら何とかなりそう!」体がフワッと軽くなったこと、しっかり覚えています。二回目、「これ、楽しいかも。」スタンプカードも幼稚園児なったみたいで、とてもうれしかったのです。
 ところで私は二人姉妹の"お姉ちゃん"です。代々続いた農家の跡とり娘として、七人家族の中でずい分大事に育てられたのだと思います。しかし結婚で姓は変わり実家を出てしまいます。家族は、私が幸せになるのだったら、と送り出してくれました。だから余計に私の心の奥底には、いつも家族への負い目があり「ごめんね。」と詫びる気持ちが消えることはありませんでした。
 七年前に90才で他界した父が、生前ポツリとつぶやいた言葉が忘れられません。「わしが死んだら、この家も草ぼうぼうになるんかな。」父もだんだん気弱になってきたことをさびしく感じました。あんなに頑固だったのに。例えば病院に行く日も、その時間になると身なりを整えて待っています。私が「九時に行くのだったら逆算して用意しておいてね。」と言ったことを覚えていて「恵美子が言ったようにちゃんと用意出来てるよ。」きっと私に気を使っていたのでしょう。また、母を介護している様子をじっと見てくれてもいました。「恵美子のおかげでこうして暮らしていける。」と妹や近所の人にも言っていたと聞きました。私の中で重くのしかかっていたものが少しずつ解けていきました。
 今、私、カラダ丸ごと幸せです。声にしてはっきり言えます。
 カーブスで多くのことを得ました。楽しんで時間のやりくりをすること。毎朝15分のウォーキング時も腹圧を意識する。プロテインを飲んでタンパク質計算を毎日続けよう。鏡の前でニコッと笑ってみる。毎月の計測も大助かり。自分ひとりだと「まっいいか。」とさぼってしまいそう。体力・体内年齢ともずーっとおんなじ(=ずーっと若い!)知らぬ間に会員同士の会話も増えていく。おまけに、30年続けているコーラスで声に張りが出て来たこと。これも筋トレのおかげです。コーチの皆さんもとても楽しそうで居心地満点です。そして何より清々しい気分で母の顔を見に病院へ行き「カーブスで運動して来たからおなかペコペコ」と耳元で報告するのは最高です。
 人との縁は大切です。人の縁をおろそかにしなかった両親のおかげで、私もふる里で受け入れてもらえることに感謝し、受けた恩を少しずつ返していこうと思います。へっぴり腰の草刈りから始まった新しい生き方。今では米も丹波篠山黒枝豆も出荷出来るまでになりました。全くしたことのなかった農業を、夫(彼こそ街のド真ン中生まれ)と協力し合って一日でも長く続けたく思います。トラクターやコンバインを上手に扱えるようになった夫には、ほんとうに感謝しています。筋肉は体の全てを支配し、生きる力の源となっていることを実感しました。もう筋トレは止められません。カーブスは生活の大きな支柱です。
 「行って来まーす。」「気をつけて。」今日もさわやか。「どんな一日にしよう」ワクワクの始まりです。カーブスはそんなワクワクを何倍にでもしてくれるところです。