幼い頃から病弱な私は、いつも母に手を引かれて病院へと行っていました。
 重度の気管支喘息で、天候のちょっとした気圧変化でさえ発作を起こしては、病院へと通う日々でした。
 小学校にあがってから何より大変だったのが体育。少し走っても発作が起きてしまう為、激しい運動は絶対に出来ない。だから、ほとんど見学するばかり。皆が楽しそうに走っているのを座って見ている。そんなさみしい学校生活でした。
  それは中学高校になっても、体育はほとんど見学するばかり。少しくらいなら大丈夫かと頑張ってみたこともありました。でも、やっぱり喘息の発作を起こしてしまい、先生やクラスメイトに迷惑と心配をかけてしまうという結果になってしまいました。
  私には運動は向かない。病気だもの仕方ない。そう自分に言い聞かせました。
  私は運動は出来ないのだと。
  高校卒業間近という時期に、倒れて救急車で運ばれありとあらゆる検査をして、クローン病という難病だと診断されました。卒業後の進路すら、選択を阻まれる事になりました。
  社会人となっても病気との戦いに勝てる事なく、仕事どころか普通の生活もままならず、20代30代は入退院を繰り返す日々がずっと続きました。
  7年前にクローン病悪化により、緊急手術。しかし、これが功を奏し体調が徐々に回復しました。
  でも、ほとんど寝たきりの生活が長かったのもあり、同じ年齢の人と比べると体力の衰えは著しく、少し歩くだけで息が上がり、しまいには母に手を引かれて歩く。
  周りから見れば、おかしな光景だったろう。小さい子どもならまだしも、もう30越えた大人を年老いた母親が手を引く。
  いや、年老いて見えたのは私の方だったかもしれません。
  昔から社交的で行動力のある母は、明るくいつも元気で実年齢に見られた事がないくらい若々しい人です。
  そんな母が「あそこ行ってみたい」と言った場所は、私が腰痛の為通っていた整形外科病院の待合室から見える、道向こうのカーブスでした。
  「女性用ジム?!」
  まあ、私には関係ない所だけど。母が通うのに問題はないだろうし、いつも来ている整形外科病院の側だし、送り迎えもかからないし。車の運転の出来ぬ母の運転手として、私は承諾しました。
  カーブスの駐車場に車を停め、初めてカーブスに入っていく母を車から見送り、車内で待つ事数十分。母がカーブスの入り口から手招きをしていました。
  母は目が悪かったので何か書類を書くのにでも、手を借りたいのかと思ったので、私は車から降りてカーブスへと母に手を引かれて入って行きました。
  これでまさか私が、このままカーブスへと通う事になるとは。この時、微塵も考えていませんでした。
  中へと入ると、運動しているメンバーさん達は母くらいの世代の方々が多い感じでした。でも皆さんハツラツと活き活きと運動されていました。年齢だけ若い私にはとても眩しく見え、丸くなっている背中をよけいに丸めて小さくなりながら、呼ばれた席に腰をおろしました。
  優しい笑顔で話しているコーチと母との間で、娘も来ている、と、話題が出たらしくて、
  「送り迎えだけでなく、折角だから体験だけでもいいからやっていきなよ!!」と言われたのです。
  正直気は進みませんでした。けれど、まあ体験だけならいいかと、母と説明を聞き、母と共に体験を通う事になりました。
  日を新たにカーブスに行くと、一人に一人ずつコーチが付いて教えてくれるとの事。母は最初に行った時に話をしたコーチが、私には別の元気で明るいコーチが、それぞれに事細かく丁寧に教えてくれました。
  年齢的には、通っているメンバーさん達に比べると若い方なので、「大丈夫大丈夫!!」そう言ってくれたコーチ。でも、そのコーチの手を借りてもマシンを動かす事すらままならない状態でした。
  私には運動は向かない。出来ない。体験だけで辞めよう。元々、母の送り迎えだけで来たのだから。
  体験2回目3回目。マシンをほとんど動かす事が出来ない私とはうってかわって母といえば、楽しそうにコーチとマシンをせっせと使いこなしていました。
  「お母さんは、だいぶ出来る様になったね!!あきえさんも頑張ろうね!!」
  明るく元気なコーチに励ましてもらい、笑顔で応えてはいたものの、心の中では体験で辞めるけど・・・と、呟いていました。
  4回目5回目と母は無事に体験期間を終え、カーブスに通う気満々。私はこれで運動から解放される!!と思っていた時、
  「また待っていますね!!」
 コーチの何気ない言葉と優しい笑顔。
  母を送り迎えしなければならないわけだし。特に通わない、通えないという理由がこの時ありませんでした。
  体験の回数を重ねる間、私でも少しずつほんの少しずつだったけれど、マシンを動かせる様になってきていて。体を動かす事が億劫だったのが、いつの間にか楽しんでいたのです。運動は苦手だけど、自分の動ける範囲内でマシンを動かせばいいから、身体が辛くなる事は無くて。
  カーブスでなら、私でも運動出来るみたいだ!!
  そして、通う回数を重ねるごとにだんだんとマシンも出来る様になり、どんどん身体を動かす事がとっても楽しくなりました。
  いつの間にか、猫背で丸まっていた背中が、シャキッと真っ直ぐに伸びる様になりました。少し歩くだけで息切れしていたのが、「歩くスピード早くなったよね!!」と、母に言われる様になりました。母に手を引かれていたのが嘘の様に、母と手を繋いでスイスイ歩ける様になりました。
  前では、考えられない様な、遠征も出来る様になりました。好きなバンドさんのライブに行ったり、大好きな声優さんのイベントにも行ったりしています。
  もちろん、カーブスはちゃんと通っています。
  身体に無理が来る様な事があればその時、辞めればいいや。そう思いながら始めは通っていたけれど、コーチは「体調は大丈夫ですか?」と、いつもちゃんと気づかってくれるし、「頑張っていますね!!」と、励ましてくれるし、「お疲れ様!!また待っていますね!!」体も心もスッキリ。
  だから、今も辞める事なく、母とそれと母が誘った従姉とさらに楽しく通っています。
  そうそう、辞めた事はありました。カーブスに通う様になって、道向いの整形外科病院への通院です。
  だって、カーブスで身体を動かす事で腰痛が改善されたから。