カーブスエッセイ大賞2018結果発表

作品詳細

佳作

「私がカーブスを続ける理由」

さくら様(75歳) カーブス御殿場(カーブス歴:6年11ヵ月)


 私は学生時代にスポーツは、やっていませんでしたが、町民体育大会や招待校リレーの選手でした。家では、父が湯船原で野菜づくりをしていたので、山には、よく行きました。大根しょい、たきぎ拾い、わらびとりと......。私の夫となった人も、父親が製材所勤務で山に行ったので、ついて歩いて山が好きになったそうです。夫は製材工で、山岳会の指導員として活躍しました。岩登り、冬山登山、氷の壁も登ったそうです。「僕から山をとってしまったら何も残らない。」と言っていました。「ある人生」と言うテレビの番組にも出演したと聞きました。夫が四十四歳、私が三十五歳で結婚したので、子供が生まれた時には、「父親にしてくれてありがとう」と言って喜びました。家族で山登り、ハイキングに行きましたが、夫は持病と職業病がもとで平成二年一月に、亡くなりました。夫の生存中に、私も子供も受けた精神は、大きなものでした。「お前が一人になっても生きていけるように、男の子と女の子を」と、言っていた夫。私が四十七歳、長女小四、長男小二でしたが、看護婦を若い時にしていた母の援助もあり、無事に育てあげ、希望する職場に二人とも就職して、働いています。父親が死んだ後、息子は、どもってしまい話せなくなったこともありましたが。
 子育てが終ったら、母が認知症になってしまい、私は、実家や、入院した病院に、通うようになりました。家から片道十キロの道を看病に通い続けました。入院した数ヵ月は、毎日、昼食をとらせるために行きました。三年後母は亡くなった。特別、母には世話になったので、看病にいけるだけ行っていたためか、私の体は、ぼろぼろになってしまっていました。母が亡くなった年の私の誕生日(6/2日)にカーブスに入会しました。私の体をみて、「今に歩けなくなるよ。」と、友達が心配してくれての入会でした。私は正座もできず、背をまるめ横をむいて眠り、まともに歩けませんでした。入会した秋には、測わん症はあっても何不自由なく生活できるようになり、娘と台湾とモンゴルに行ってきました。台湾では、階段や坂、どこでも筋肉痛にも悩まされず、先頭を歩いていたので、同行者が、びっくりしていました。モンゴル高原の乗馬での見学も楽しかったです。モンゴル高原の乗馬を高校の同窓会で話したら72才(年女馬年)のおばあちゃんがと先生が感心していました。人生経験が、私をかえたようです。カーブスに通うことで以前より明るくなり、元気をコーチや仲間から、もらっています。昨年は、カーブスの帰りに、原付と車と接触してしまい、救急車で運ばれ気がついた時脳神経外科にいました。原付におおいかぶさるように倒れていたそうです。反射で逃げて、相手が物損事故にしようと言う程度ですみましたが、後の事を考え人身事故として扱ってもらい免許の取消しを申請し、現在は、自転車でカーブス通いです。帰りの買物のことを考えると、距離があるからです。注意していても、人生には、いろいろのことがありますね。海外旅行の後、数年して食道ガンの宣告を受け、ガンセンターに一年半ほど通院するも、ガンでは、ありませんでした。ラッキーでしたが、逆流性食道炎があって、食道からの出血が多く、二回ほど輸血をしました。ガンセンターに通っている時には、「すごい回復力だね。」と言われました。
輸血をする時、看護士が「先生に立たせておいてもいいの」と聞きましたら、
「体力があるからいいよ。」と言いました。「何くそ」と思って、明るい気持でいられるのも、カーブスのおかげかな。今年の一月末に長女が嫁ぎました。相談にのってくれ、だんどりも、まかせていましたので、私自身が、がっくりしてしまうのではないかと思っていましたが、娘が結婚した安心感からか、かえって、元気になり、今年は、寿大学を卒業したので、四月からは、シルバー大学に行きます。俳句も、勉強中ですので、月一回の俳句の会に入ることにしました。ますます元気でいたいです。私にとってカーブスは生活の一部です。いける限り行きたいと思っていますので、これからも、よろしくお願いします。

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