湯舟の中で自分のへそあたりを見る。両手でつかんでみる。まるで「ちょっと固まってきたおもち」に「はあ~」とため息が出る。いつの間に付いたのか...思いあたるのは運動不足しかない。毎年の健康診断にも要観察の項目が付いてくるようになった。ひざも痛いし、腰痛も気になる。骨にも年齢オーバーの値が出始めている。さあ、どうしよう?
 ある日、職場の同僚と雑談する中で、彼女が「実は(・・)私(わたくし)、カーブス(・・・・)を始めたんですよ。」と話し出した。先を促すと「けっこう汗もかくし、変化も見えてきてやりがいがあります。」と、まるで書いてある通りの宣伝に、いつもなら聞き流す自分がなぜか動いてしまった。彼女の友達紹介カードをもらってしまったのだ。
 それでも、ネットで場所や連絡方法を検索したのに、なかなか予約を入れるきっかけがもてなかった。こんなブラック企業なみの労働時間で果たしてどれだけ通えるだろうか、と不安が大きかったし、ラジオ体操で10kg近くやせた実績があるので、お金を出してまで続ける意味があるのか、と決心がつかなかった。
 ところで、私にとって「カーブス」という名は既知のものであった。同窓会で再会した幼なじみが「30分で十分、爽快感があるよ。私の健康法よ。」と教えてくれていたのである。幼なじみは同業者である。どうやって時間を念出しているのかを問うと『やる気と工夫』と言った。二十年ぐらい前だろうか。二度目に「カーブス」を勧められたのは十年前だったかな。大学時代の同級生だ。彼女も同業者だった。真剣に私の運動不足を心配してくれて「勤務時間が終わって、一旦カーブスやって職場に戻れば?治療通院と考えて割り切らなきゃ命が縮むよ。」ありがたい助言だったがやはり動かなかったのである。
 そしてこの(・・)三度目の正直。山は動いたのである。元気いっぱいの笑顔とあいさつに迎えられ、今、私のカーブスライフが始まった。
 「できるだけ毎日通ってみたい。」「一回あたりの単位料金を安くしておきたい。」そんな欲もあって、今、一日の時間の使い方が変わってきている。定時で退社できる日はほとんどないが、ぎりぎりでも入れるように仕事を切り上げる勇気が湧いてきている。「明日できることは明日に」回し、急ぐものは持ち帰りにし、カーブス通いができるようになってきた。時間を作るために、一日を目一杯動きまわる自分をひそかに誉めてしまうこの頃なのだ。
 「時間は作るもの」として私の毎日が変わってきた。湯舟の中の腹づかみの量も少しは減っていると思えるようになってきた。腕や大腿部の変化も感じている。計測値の変化はかなり微妙だけれども、まだ二ヶ月ちょっとだから、これからの変化にひそかな期待をしている。「チェンジ!」一期一会のターニングポイントを今、私は感じている。