土曜日がやってきた。今日も青色の自転車に乗ってカーブスまで行く。私がカーブスに出会ったのは今から3年前。「デパートにカーブスってところがあるんだけど行ってみない?」そうお父さんに言われたのが始まりだった。その頃の私は人生に絶望していた。「死にたい」「生まれてこなければよかった」もっと酷い時は「殺してほしい」そう思っていたのだ。14年前に生まれ育った町「馬頼町」を離れ、とある町にやってきた。新しい町、新しい場所、しかしそこは思い描いている場所とはまったく違った。家の裏に高校があり、グラウンドが裏庭のすぐ後ろにある。声や音が家中に響く。そんな日々が毎日続き、自分がその子達と同じ高校生になったある日、グラウンドに向かって言ってしまった。「うるさい」と。するとその子達もある日、「ババア」「死ね」と言い返してきた。日に日に言う事は酷くなり「デブ」「きも」と言われるようになった。そんな事が時々だが起こり、やがて私は精神を病み病院に通うようになった。それ以外の日は部屋にこもり、雨戸を閉めてぼーっと天井をながめる日々を送っていた。「もう私の人生は終ってしまったのだ。」そう思っていた。
カーブスの話を聞いた時は「とりあえずこもってばかりだから見に行くだけ行ってみよう」と思い、フラフラになりながら自転車に乗ってカーブスがあるデパートまで行きました。しかし、いざ行ってみるとドアすら開けられない。「やっぱり私、駄目な人だ」そう思い帰ろうとした時、カーブスのメンバーさんとコーチさんが気付き、中に入れてくれた。中に入れてもらった私はびっくりした。明るい音楽、笑顔で運動をする人達。そして優しい笑顔のコーチさん。 
私はカーブスのコーチさんにすべてを話した。「酷いね」「最低だね」でもけして深刻そうに話は聞かなかった。時折私を笑わせようとしてくれた。その事がとても嬉しく感じた。見に行くだけのつもりだったカーブスだが、私はその日のうちに入会手続きを済ませ家に帰った。それからというもの、部屋に閉じこもってばかりいた私は、部屋から出てカーブスに通いだすようになった。最初はコーチさんについてもらいながらじゃないとできなかったワークアウトが段々と一人でできるようになっていった。カーブスに行った帰り道は嬉しかった。だがその帰り道、裏の学校の生徒さんに会い、「肩がでかい」「お尻が自分達の2倍ある」などと言い通り過ぎて行った。今までの私はそこで落ち込み気を病んでいた。しかしカーブスに行きだしてからの私はそこでコーチさんやメンバーさんの笑顔が浮かび「この人達の言う事に負けたくない!」そう思えるようになっていた。それから私は、カーブスに通いつつ、自分の感情の調節をし、「自分もうるさいと言ってしまったのだから」と自分の行いも反省し相手の気持ちを考えるようにした。
何日、何年と重ねていくうちに、やがて私の事をなにか言う人はいつの間にかいなくなっていた。私はその時ふっと思い出した。カーブスマガジンにはいつも書いてあった「体が変われば心が変わる心が変われば毎日が変わる」と。「そうかこの事だったんだ!」私はその時そう感じたのだった。通い出したばかりの頃、2015年の冬頃は自信がなく目に光がなかったが、現在この作文を書いている2017年同じく冬頃には自信が現れ目も輝いています。私が元気になってからカーブスのコーチさんも「早貴保さんが元気になってくれてよかった」「目が輝いてるね!」そう言ってくれるようになった。
長い年月の間カーブスに通い、今では大切な親友もいます。色々な事があった家は数年後に引っ越す事になり、それまでの間、私は「グループホーム」というところのお世話になる予定です。まだ体験中ですが、カーブスでとり戻した自信のおかげでとてもうまく行っています。来年の春頃には入居ができそうです。あの日、カーブスに出会えたおかげで私は今日も生きています。いつも優しい笑顔でむかえてくれるコーチさん。明るく元気なメンバーさん。そしてあの日、カーブスを私に紹介してくれたお父さん。私が笑い外にでれるようになってから本当に嬉しそうにしている。皆、本当に本当にありがとうございます。今でも病院には通っていますが薬も一日置きになり、今では病院に行ってもほとんど先生と笑いながらお話ができるようになりました。先生もカーブスを知っているので「カーブスはどう?」「どんな事をしてるの?」と聞いてくる事もあります。カーブスの輪は広がっていますね!と色んな事を頭の中で思い描き、書いていたらカーブスについた。正直、高校のくだりは書いていて辛かったですが、それもまた人生の一部です。今日、この日にまとめる事ができてよかったと思っています。では最後に、カーブス大好き!今日も青色の自転車と同じ心でがんばろう!だって私にとってかけがえのない大切な場所だから!