着信音が鳴り、今夜も携帯から流れてくる母の声。「あのね、今日カーブスでね」「カーブスの店長が...」
母からの電話は、いつもカーブスの話題から始まる。母は今年八十八歳。十二月で米寿を迎える。カーブスに通って七年になろうとしている。
 母と離れて東京で暮らしている私は、福岡の実家に帰省するたびに老いていく母が気になっていた。もともと東京のカーブスに通っていた私が母を連れ飯塚市にあるカーブス飯塚潤野の門を叩いたのは平成二十二年十二月のことであった。いま思い返すと到底信じられないのだが、その頃、母は要介護認定2だった。その年の夏、実家の近くにはまだカーブスがなく、母は他の体操教室に通い始めた。三ヵ月通い、やっと運動に慣れ始めた頃、急にそこが閉店することになったとオロオロした声で私に電話をしてきた。「私、運動続けたい。どこか他で体操教室やってないかな?」そんなとき、奇跡のような巡り合わせで十一月にカーブス飯塚潤野がオープンすることを地元の噂で私達は知った。「お母さん、ここ私が東京で通っているお店なの。ここに行ってみようよ!」
 飯塚潤野店の当時の店長さん、スタッフの皆さん全員が温かく母のことを迎えてくれた。「私は年寄りだから入れてもらえないかも...」と尻ごみした母だったが、問い合わせをした際の、電話口のスタッフの弾けるような元気な声に、その心配はいっぺんに消し飛んでしまった。
 そして、十二月に母は入会した。前述で、実家の近くにカーブスはなかったと書いたが、じつはいまも実家の近くにはできていない。飯塚潤野店は、実家からバスを乗り継ぎ、一時間半の所にあるのだ。十時半のバスに乗り遅れると、午前中の運動はできない。入会した頃の母は身体が直角に折りたたんだように曲がっており、わざと重い荷物を入れたリュックを背負って上半身を後ろに反らさなければ、顔を上げられないほどだった。いつも下を向いて歩いているので、前から車が来ても気づかず、一緒に歩いていて私はいつも、危ないなぁと思っていた。
 実家はとんでもない山奥なので、家から一番近いバス停までその頃の母の足では四十五分かかった。距離にするとそんなでもないが、何歩か歩いては立ち止まり、腰を伸ばし、また数メートル行った所の石に腰掛けてひと休みをしたり。その繰り返しなので、徒歩の時間も計算に入れて、家を出発しなければならなかった。その話を聞いて内心私は、『歩くだけでもいい運動になっているし、まぁ長続きしなくてもいいか...』とあまり期待してはいなかった。
 ところが、思ったよりも早く変化は現れた。「今日はあまり休まないでバス停に行けたよ」「今日は昨日より時間がかからなかった」「バス停まで休憩二回しかしないで行けた」。そして「今日はすごいお知らせがありまーす」と母の誇らしそうな声で、ついに一回も休憩せずにバス停まで歩けたことを告げられた。通い始めて僅か二ヵ月しか経っていなかった。
 四月に帰省し、トラベルパスで私も飯塚潤野店に一緒に行ったが、本当に足取りが軽くなっていた。「そういえば今年は花粉症が出ないんよね〜」と明るい表情で楽しそうにスタッフと話している母を見て、私は『筋肉がついたから代謝が上がって免疫力が高まったんだ』と理解した。毎年春になると母を苦しませていた花粉症。かゆくてかいてしまい、目が開かないくらい、ただれていた。それがマスクもせず、けろりとしている。周りで治ったという話を聞いたことがないので『花粉症って治るんだ!』と驚きだった。曲がった背中はさすがにすぐに伸びるという訳にはいかなかったが、カーブスの帰りに食事をしていて、母が以前より量を食べられるようになったことに気づいた。「私、食欲が出たやろ?今まで身体が曲がっていたから胃が圧迫されていて、あんまり食べられなかったんよ」。私の目の前にいる母は、ほんの少し、小鳥の餌ほど食べては、「あぁ、もうお腹いっぱいで入らない...」とご飯を残していた母とは別人だった。
 運動をしなければと思った最初のきっかけを、母は悔しさをにじませて私に語ってくれた。「バスの中で昔職場で一緒に働いていた人に会ったの。そしたらその人、私を見るなり『ウワー!すっごい腰曲がったねー!何で?何でそんなに腰曲がったん?』って大声で...。周りに大勢、人がいたのに...何でって...私にだってわからんわ、そんなん...」。誰でも歳をとれば身体は丸くなるだろう、日々のなかで草むしりをしたり漬物を漬けたりするうちに自然とそうなるのだろうが、若い頃の母は大層美しかった。そんな母がちっちゃなお婆ちゃんになって目の前に現れ、容赦なく投げつけられた心ない言葉。母は一念発起したらしい。次の帰省はお盆だった。背中はだいぶんシャンとしてきて、マシンとボードの移動もスムーズにできるようになっていた。そういえば、と私の頭のなかをよぎったことがあった。
 母がカーブスに入会する前の年、父の七回忌で湯布院に行ったとき、温泉で伯母(母の姉)が、「えらいことになってるで、これ」と母の背中を指差して叫んでいた。私たちが見たものは、母の背中に出来た大きなコブ。服を着ていたら全然わからなかったが、ノートルダムの鐘つき男のようだった。そっと触ってみると硬くない。プヨプヨしている。
 痛くもなんともない、ふだん自分じゃ見えないからまったく気づかなかったという母に、帰ったらすぐ病院に行くように勧めた。レントゲンの検査結果は何も写っていなかった。脂肪の塊でしょうという診断だった。あのときのコブが消えている!私は、そのとき母のサポートをしていた店長に興奮して「そんなことってあるんでしょうか!?」と質問した。店長は「筋肉がついたことによって身体が引き締まって、脂肪が燃焼したんですよ」と教えてくれた。
 私の母が起こした数々のミラクル。私もカーブスに入会して今年の六月で十年。自分や仲間にもいろいろな変化があったが、私の周囲では母が一番の奇跡の人。七年前はデイサービスに通い、帰省の度に老人ホームの内覧に付き添っていた。あの日カーブスにかけた一本の電話が人生の岐路だったのだ。いまはバス停までの十五分で、杖もつかずに歩く母とカーブスへ。
 遅れそうになったら小走りになることもある。無理しないで杖をついたら?という私に、「杖やら年寄りみたいで好かん」と年寄りらしからぬ言葉。大型ドラッグストアの二階にある店舗は駐車場も広くて、メンバーさんのほとんどが車で通っている。母のようにバスを乗り継いで、なんていう人はいないらしい。当然一番遠くから通っている。「でも雪の日は誰かが乗せて帰ってくれるからね」。あの日から七年、母は雨の日も雪の日も大好きなカーブスに通っている。筋肉チェックで片足スクワットを十五回できる米寿の人を私は他に知らない。現在の体力年齢はなんと四十代後半。実年齢の半分!完全に私より若返ってしまった。
「私が死んだらお棺にプラチナカード入れてね!」「じゃぁプラチナカードもらうまで死ねないよ」こんな冗談を言いながら今夜も私は母と電話している。

 《体が変われば心が変わる 心が変われば毎日が変わる 毎日が変われば人生が変わる》《明日の自分にきっと驚く 》母は見事にその言葉を体現してくれた。いつも母を支えてくださっているカーブス飯塚潤野店の皆さま、本当に感謝しています。