頸椎症状脊髄症。発症したのは、丁度一年前の春だった。定年退職した翌日の4月1日。好きなだけ寝ていようと決めていたのに、右手の人指し指が痛くて目が覚めた。血も出ていないし腫れてもいない。これは昨日までの片付けで手を使いすぎたからに違いない。ちょっと右手は安静にしつつ、ゆっくりのんびり自由を満喫することにした。まずは、田舎に帰省し墓参り。北海道に出かけ、釧路湿原を見て歩き、ぼっ~と日が暮れるのを眺めていた。秋田の山では、お花畑に歓声をあげ、あちこちトレッキングして回った。山梨の渓谷ハイキングでは、地元の草餅に舌鼓を打った。やっと退職した実感が湧いてきた。この間ずっと手のことは気掛かりだった。実は5月末の『2dayマーチ』で、何か違うザワザワとした不安を感じていた。それを紛らわせる為に、あちこち出歩いていたのかもしれない。さすがに心配で山へ行く前には病院へも行ってみたが、「問題はない」と言われていた。整形外科では「関節炎だろう」と湿布を出され、神経内科では「薬の必要もない」とのことだった。6月には、右手の4本の指にしびれが始まっていた。だんだん遊びに出かける気持ちが失せていった。7月に入り、知人に勧められた整形外科で頚椎症状神経根症らしいと分かった。3ヵ月薬を飲めば、症状が軽くなる人が多いとのこと。
服用が始まって1ヵ月。少しも良くなる気配がない。7月が終わり、8月に入ると、絶望感で落ち込み、動く気力すらなくなっていた。朝、読んでいた新聞を前に座椅子にもたれかかったまま、気が付くと日が暮れかかっていた。一日中同じ姿勢で過ごす日々が続いた。
そして、9月になった。朝、カーテンを開けようと伸ばした右手に電気が走った。薬は効いていない。箸も持ちにくい。字も書きづらい。何もできない。毎日毎日、ウトウトしながら引っくり返っていた。夏が終わってしまう、とあせった。このままじゃヤバイ!。私ヘンなんじゃないか?"ウツ"という文字がちらついた。とにかく動こう。何かしよう。まだ手が動くうちにやらなきゃいけないことがあるはずだ。シューカツ?!そうだ。"終活"をしておかないと手が効かなくなってしまう。まずは、あの押入れの中を整理しようと決めた。衣装ケースは太って着られなくなった服であふれていた。捨てた。捨てた。捨てた。が、捨てられない服が残ってしまった。よし、やせるしかない!!もう一度袖を通してみて似合わなかったらあきらめられる。早速、色々なスポーツジムの新聞折り込みチラシを集めた。4枚~5枚見比べても、さっぱり...? 9月中は体験無料だとか、入会金0円だとか、会費割引だとか...。決断がつかないまま1週間が過ぎ、やっぱり無理だとあきらめかけていた。
そんなとき出会った"ピンクのTシャツ"の人。キラキラ輝いて見えたのは西日を受けていたから?それとも笑顔がまぶしかったから!久々に外出した私は彼女に見惚れていた。自転車で近付いてくるその人に釘づけになり立ち止まってしまった。何がそんなに楽しいのか。彼女は元気はつらつ、ルンルン弾んでいるような感じだった。狭い歩道で、すれ違いざまにロゴのCという頭文字が見えた。あれ、このシャツどこかで見た。家に戻ってチラシを探した。あった。すぐに体験申し込みの電話をした。「来週の火曜日は、どうですか?」と言われ、「明日、行きたいのです」と強引にお願いした。すぐにでも始めたかった。
 私も彼女のようになりたい。一日でも早く、今の状態から脱出しないとア・ブ・ナ・イ。
  こうして私のカーブス生活が始まった。やっと動けたことがうれしくて、毎日通った。タンパク質も12点取ろうと、ごちそう三昧。太った(エ~ッ!)。少しずつ要領が分かってきて、生活にリズムもできた。右手も伸ばせるようになった。しびれは広がってきているのに気持ちは明るい。それは、しびれていても動かせるから。これは筋肉のお陰なのだろうか。そこで、変な自信も生まれた。入会から2ヵ月後の11月24日、箱根の山に登った。1,212mの山頂から、富士山がドッ~ンと目の前に見え爽快だった。(いっそ手術しちゃおうかな)とも思った。お医者さんに相談すると、「あなたのように動けている人が手術はまだ早いよ。リスクがあるから」とおっしゃった。動けているのは、カーブスで運動しているからだ。
  しかし、MRIの結果は脊髄が圧迫されていることを示していた。神経ブロックの薬を飲み始めたり、大きな病院での診察など、不安は尽きない。そのたびに、コーチが気に掛けてくださった。「結果はどうでしたか」「できる範囲でやればいいんです。無理しないで」「リハビリだと思って、あせらずに」そして、いつも大きな声で「Mさ~ん。こんにちは」と言われると、ホントに元気になるから不思議だ。
心も体も病気だった私を救ってくれたカーブス。明るく元気なメンバーさんの様子も刺激になった。私が真っ赤な顔をして、汗をふきふきマシーンを動かしていると、「そんなに暑いの?頑張っているのね」と声をかけてくださる方がいた。頑張らないと動かなくなる不安と戦っている私には、病気のことを話せる、聴いてもらえるだけで、充分心強いことだった。いつもサッサと帰ってしまい、あまり周りと会話のない私なのに、笑顔をかわせる人が、ここには居た。
  そして、この春。半年前の引きこもりの自分には考えられないことが起きた。まさか働くことになろうとは、夢にも思っていなかった。「元気そうだね」とか「手を使わない仕事だから」等々、何と誘われようともゼッタイ断り続けてきた。その私がヤルことになってしまった。こんなに前向きになって大丈夫か?一番びっくりしているのは、私だ。
  痩せる目的で運動したいと思った。でも、カーブスは、それだけではなかった。これまで何回も落ち込み、今でも時々不安になる。それでも、(病に心までは支配されないゾ)と思えるようになった。コーチが近付いてくるだけで、反射的にお腹が引っ込む自分がおかしくて笑えた。自分自身を愉快だと感じる余裕もできた。偶然だったカーブスとの出会いが私を支えてくれた。そして、私を変えた。
  ちなみに、カーブスには"ピンクのTシャツ"があふれていた。みなさん、ありがとう。これからも宜しくお願いします。