「私は、屋久島に行く!」と言った時の家族の反応は...。「行きたい・・という願望でしょ。」「何で急に?」「十一時間も歩けないでしょ。」「観光だけにしておけば」と娘や夫が驚いた。そして全員が口を揃えて「山登りした事ないのに無理、無理!」と言うのであった。
 夜テレビを見ていると屋久島が写っているCMがあった。その時、本当に突然「そうだ、七十歳になる前に自分の足で縄文杉を見に行こう!」と思ってしまったのだ。何で?と問われると困るが。数日前に訪れていたブータンの自然の美しさに感動していたからかもしれない。四千メートル級の高地であったがほとんど車の移動だったので快適に過せた。その自信が「そうだ!屋久島に行こう!」となったのかもしれない。
 家族の騒々しさは無視し、すぐ屋久島ツアーを探し旅行社に連絡してみた。「長時間歩きますが」「そんなに長時間歩いた事ありません」と私、「山登りの経験は?」「ありません、アッ数か月前ハワイのダイヤモンドヘッドに登りました。」と答えたら「・・・・」と絶句されてしまった。「縄文杉に会いに行く為にハイキングから登山までのトレーニングがあります。それに参加されては何如ですか?」という訳で月一回のトレーニングに参加する事にした。山の道具はシューズと服以外は夫が使っていた物を借用した。装備だけ見ると立派な山ガール?である。靴紐の結び方、リュックの背負い方から教えてもらう超初心者なのに・・・・。十四人のグループで練習したが途中で具合が悪くなる人もいた。登山コーチからは「スクワットをして太ももの筋肉をつけて来月参加して下さい。」「筋力がついていないのでもう少しつける様運動して下さい。」等のアドバイスがあった。カーブスで筋トレをしていたおかげで、私は全回メンバーについて行けていた。心拍数を上げない歩き方、ストックの使い方、登る時、降りる時の足の置く位置など教わりながら少しずつレベルアップしていった。月一回のトレーニングでは不充分なので日常生活の中で訓練を続けた、エレベーターは使わない。職場まで歩く、カーブスに行く回数を増やす等々。
 カーブスに入会したのは、メタボ対策、腰痛肩こりの解消が目的であった。体重、腹周りは劇的に減少した訳ではない。少しずつ少しずつ・・減ってはいるが。長年悩みの種の腰痛、肩こりは気付いたらなくなっていた。少し肩こりがあっても、カーブスでマシンを動かしているうち治ってしまう。ズル休みをするな!という警告と受け止めている。その様な中、天袋の荷物を取ろうとして椅子から落ちてしまった。その時は何ともなかったが、数日後、右膝の激痛で寝ていられなくなった。整形外科に行くと「加齢による年相応の骨の減少があり、坐骨神経痛だね。しばらくマッサージに通って」と言われた。数日通院しても状態は変わらない。思いついて前に通っていた整骨院に行ってみた。マッサージ、テーピングをして少し歩ける様になった。「この痛み方はじん帯が伸びているのでは?」と言われ思い出した。二週間前椅子から落ちた事を。人によっては数日してから痛みが出る事もあるそうだ。右足にグルグル包帯でサポーターをしてもらい何とか歩いて通院出来る様になった。通院六か月。痛みが消えたところで今度はかばっていた左足が痛み出した。何やかやで一年近くマッサージに通う事になった。筋トレ大好きの整骨院の先生も「筋トレはする様に。」との勧めがありカーブスには通っていた。痛くない範囲でカーブスのマシンを動かしていた。辞めてしまうのは簡単。筋肉が落ちるのも簡単。でもコツコツ積み重ねて来た筋肉を維持しなければモッタイナイなと、主婦としての節約心があったのも事実。痛めた膝の状態は百パーセント元に回復した訳ではない。しかしスキーが出来、ヨサコイソーランが踊れる迄に戻ってきた。でも、山登り、長時間歩くとなるとまだ不安は残った。
  現地集合の屋久島ツアーに参加したのは十五名。全国から二十代~四十代の女性が集った。私はたぶん一番の高齢者、しかも初心者。二十代の一人を除いて皆山の経験者ばかり。二十代の彼女は某スポーツジムのインストラクターとの事。皆と一緒に縄文杉まで行けるか不安が増して来た。とりあえずガイドのすぐ後ろについて歩く事にした。「後ろの方について行くと、休む時間が短くなる。」と山歩き大好きの友人のアドバイスを思い出したからである。樹齢二千年以上のものが屋久杉でそれより若いのは小杉・・・と言うガイドの説明があった。周りの景色、植物を見るゆとりは私にはない。黙々と足元を見て歩くだけである。出発から六時間。やっと縄文杉に出会えた。樹齢七千二百年の木がそこに存在するという事が神秘的である。木材として切り倒される事なく大地に根を拡げ生き続けてきた。その生命力は訪れた人に元気を与えてくれる。十五分位の滞在で同じ道を戻る事になった。夕食の時には「足が痛い。」「ふくらはぎがパンパン。」とあちこちから訴えがあった。私は「?」全くどこも痛くない。次の日は雨の中、苔だらけの森を歩いた。幻想的な山歩きを楽しめた。夕方家に戻り「どっこも痛くないよ。」と言うと「明日?明後日?年寄りは後から痛くなるよ」と娘。次の日カーブスに行ったが何でもなかった。結局全く筋肉痛にならずに今日に至っている。
  たら、れば、と言う言葉は好きでないが、出会いの大切さを痛感している。勤務先の最寄駅近くに「カーブス」がなかったら。仕事帰りに行けるという条件でなかったら。私がカーブスと出会う事はなかった。健康維持の為にといろいろ試してきた。ウォーキング、水泳、エアロビ、ヨガ、太極拳。どれも私にあわなかったのか続ける事が出来なかった。定年近くなり出会ったカーブスだけが唯一続いている。九十二才で亡くなった母は運動嫌いだった。晩年転倒し骨折してからは寝たきりになってしまった。社交ダンス、水泳と道具を揃えるだけで続けられなかった。せめて歩いてと勧めても「膝が痛い」と動こうとしなかった。通販でいろいろサプリメントを購入し飲んでいた様だった。動けなくなってからは急激に体の状態が悪化していった。リハビリをすれば歩ける様になると言われても気力が全くなかった。目も見えにくくなり、血糖値も安定せず 入退院を繰り返していた。元気そうで病院とは縁遠い人だったのだが。
「元気そうね。」と言われるのでなく「元気ネ」と言われる様になりたい。無理なくゆっくりと筋トレを続けて行こうと思っている。後期高齢者でなく「元気高齢者」を目指している。来年はネパールでヨサコイソーランを踊れる様体力作りをしていきたい。