父母の介護の為に実家に戻り、心身共に疲れていた六年前のこと、帰省した娘がカーブスを勧めてくれた。
 その頃、東京でキャビンアテンダントとして勤務していた娘は時間的に不規則なので普通のジムにはなかなか通えず たまたま近くにあったカーブスに通い始めて一年程経っていた。
 二十才代は珍しかったそうだが、腰や脚への負担のかかる仕事だったので、カーブスでの筋トレは快適だった様だ。
「お母さんくらいの年令の人も皆頑張ってるよ。一度体験に行ってみたら」と半ば強引に近くのカーブスに連れて行かれた。
 七十才になっても毎日テニスに行く夫とは大違いで 昔から運動は大の苦手。筋トレという言葉だけで尻込みをしていた私だが、明るい雰囲気と 強制されない自由さが気に入り「これなら続けられるかも...」とメンバーになった。娘は「一緒に頑張ろうね!」ととても喜んでくれた。
 その頃は、親友だった同級生が亡くなり 気持が沈み いつもモヤモヤしていたのだが通い始めて少しずつ前向きになっている自分に気付いた。体が軽くなる感じがした。
 カーブスへはほとんど夕方に行ったので、窓からとても美しい夕日が見えた。茜色に染まる空を見ていると、明日も頑張ろうという気持ちになれて嬉しかった。
 二年近く通った頃、母と父が相次いで亡くなった。精神的なものもあったのだろうが ひどい目眩と腰痛でとてもカーブスに行ける状態ではなくなってしまった。すべての気力を失くし退会届を提出した。
 その間も、何度かコーチから電話を頂き、励ましを受け「いつか必ず戻ります。」と言ったのを覚えている。
「いつかカーブスに戻ろう。」それはその頃の私を支える言葉だった。
 昨年の春の事、いつまでもスッキリしないままの私に「お母さん、元気になったら戻るのではなくて、戻ったら元気になるのと違う?」と娘が言った。
「そうかも知れない」思い切って再びカーブスのドアを押した。
  あの頃のコーチが、マネージャーさんや店長さんになっておられ「お帰りなさい」と暖かく迎え入れて下さった。
  教室の場所も移転し 夕日は見えなくなったが 何もかも新しく 私も気分を一新して通い始めた。
  娘の言った通りだった。最初は一周しただけでフーフー言っていたが 何度か行く内に以前のペースをとり戻し、何より気持が前向きになっていくのが自分でも解り嬉しかった。
  脚の筋力がついたのか しゃがんでいてもスッと自分の力だけで立てる様になり、庭に出てカーデニングをする機会が増えた。
  腰痛と目眩もいつの間に消えていた。
  プロテインも始めた。お腹の調子が良くなり、肌に艶が出て お化粧が楽しくなった。
  カーブスを終えて帰宅する時、娘との約束を果たしているという満足感と心身の爽快さに包まれ幸せだった。
  それまで一日経つごとに「ああ又一日過ぎてしまった」と命が削られていく様な喪失感しかなかったが、カーブスに通い出してから自分の人生を一日ずつ増やして行っている様な感覚に満たされていった。
  私をカーブスへと後押ししてくれた娘に心から感謝している。
  その娘がこの春結婚した。
  そして近い内にヨーロッパへ行ってしまう。
 「お母さん 元気でいてよ」と娘は案じてくれるが 娘が帰国するまでの数年間、どんな事をしても元気で居ようと思う。
  その為に カーブスとプロテインは心強い味方だ。
  自分の為ならさぼりたくなる事もあるかも知れないが 娘との約束を果たすためと思えば頑張れる気がする。
  「大丈夫。お父さんもお母さんも絶対に元気で待っているから。」 そう断言して 娘を送り出してやるつもりだ。