三月初旬 実家のある長崎に帰省した。60歳を過ぎてもなお、つのる郷愁。3人姉妹の次女である私は愛知県に住んでいるが、ほかは全員在住である。両親はすでに亡く、今回の帰省は父の13回忌であった。父より先に59歳で逝った母を姉と私は越えてしまったが、思慕の念は年を経てもなお募る。私たち3人を生み育ててくれた両親に感謝しているし、健康な身体でいられる幸せをかみしめている。
帰省にあたり、前々からの念願であった[トラベルパス]を経験するべく、店長にお願いしてみた。入会のきっかけとなった東京の友人が韓国に留学した際、あちらのカーブスに通ったという事を聞いていたし、ご主人の単身赴任先のカーブスにも行かれた由。
加えて、韓国ドラマの中に出てくるカーブスのマシンやTシャツ、コーチのかけ声などに店は違えど・・いやいや国は違えど・・共通点が多いことに驚き、興味をひかれたしだい。ヒロインは劇中、友人とカーブスに通うことでストレスを発散し、ドラマの回を重ねる毎に人生そのものをも見直し、いきいきと輝く女性へと変貌してゆくのである。
スポンサーがカーブスであったからか、毎回カーブスのシーンが出てくるのでとても楽しく観ていた。そのこともあって、今回の帰省先での[トラベルパス]体験となった。長年通いなれたカーブスではあるが、当然のことながらいつものお店しか知らない。
他のお店も見てみたい。体験してみたい・・というミーハー的要素もあったことは否めないが。初日はドキドキしながらイオン時津店へ・・・。あらかじめ連絡済みだったとはいえ、待っていたかのように笑顔で迎えていただき、一気に緊張がふっとんだ。
マシンの順番やコーチの声かけのタイミングなど何もかもが新鮮で、またたく間に時間が過ぎてゆく。カーブス内にあふれる長崎弁の心地良さに浸りながら、ふるさとを実感した。壁に貼られた
「やろうで筋トレ
よかばい筋トレ
ありがとう筋トレ」のコメントにも長崎ならではのアイデアを感じ、自宅に戻ってから早速、コーチへ報告した。
愛知県バージョンのご当地コメントはどう?と。カーブスの体験はもちろんだが、実家滞在中の最大のハプニングは、庭先で起きた転倒事件。姪の子どもたちを見送るために坂道を駆け上り、その帰り道、またもや全速力で駆け下りた。急斜面の坂道、思わぬ加速がつき曲がれるはずのところを曲がれないまま、足はもつれ・・そして、今思い出しても冷や汗が出る瞬間が訪れる。バランスを崩した私は、最大級の恐怖のまま地面に激突することとなった。しかもそこは、芝生でもなく土でもなくアスファルトでもなく、砕石むき出しの生コン道。実際の時間はあっという間の出来ごとだったと思うが、私にはコマ送りのスローモーションのように地面に衝突する過程がまざまざと思い出せる。あまりの痛さに声も出ず、その場から動くこともできず・・・。
私の傷を見た姉は絶句・・。骨は折れていないのか?と本気で心配してくれた。私の全体重と衝撃を受けた右肘、右膝は悲惨なありさまだった。その後腫れや出血を姉は日に何度も確認してくれたが「あなたの身体は絶対若い!元気!」と感心していた。私たちの年齢になると骨折のリスクが高まるのは確かで実際に犬の散歩途中に転倒し骨折した例をいくつか知っている。
日常的に何種類もの薬を服用し通院も欠かせない姉は、それら全てと無縁の私にいつも驚いているのだが、今回の転倒事件の傷の治りの早さにも目を丸くしていた。
4歳差の私たち・・姉に比べて私は医療費というものがほとんどかかっていない。
実家にいる間姉と行動を共にしていたのだが、休憩とおやつタイムなしには次の用事ができない姉に比べ、疲れ知らずの私はほめられれば嬉しくなり、調子に乗って家事を楽しんできた。自宅にいると家事はあたりまえ。もちろんほめられることもない。人間いくつになってもほめられること認められることは嬉しいものだと、あらためてそう思った。実家にいる間に自分の健康を自覚し、それは今では生活の一部になっているカーブスのおかげだろうと確信した。[トラベルパス]を利用することまでは考えたことがなかったのだ。オタク主婦の典型である彼女は、動かすのはおしゃべりとおやつで使う口、手芸のための手、移動は車・・・ときている。
今回、カーブスに通う姿を見せたことが少しでも刺激になり起爆剤になれば・・と願っている。
 帰省中の転倒の際痛めた右肘は実は、昨年末から抱えていた痛みでもあった。
重いものは持てない、触れていると電気が走ったかのような激痛に襲われ日々闘っていた。
理学療法士の二男は「その症状は明らかに使いすぎ」「何もしないのが一番!」と。はいはい・・わかっています。そんなことは百も承知。カーブススタッフに自己申告した。
「当分、できないマシンをとばします。」彼女たちの深い同情と理解に助けられ、あまり休むこともなくいつもと変わらない回数を通っていた。そして気がつけば・・いつの間にかマシンの全てを動かせるように。
あれほど激痛に苦しんだ右肘は、つまり転倒事件の際またもや災禍にみまわれたわけである。その刺激が吉と出たのか、定かではないが。傷あとは残ったが昨年末からの痛みは消えたのはまぎれもない事実。
私の身体は何年かに一度こうやって悲鳴をあげ反乱を起こす。
痛みを意識しなくなるまで10ヶ月余りつき合った五十肩は4年前のこと。
痛みに強い、慣れっこの私だが、この右肘痛は前回の五十肩に匹敵するものだった。激闘の五十肩から4年・・つまり4歳年をとったのに・・・4年分老化したはずなのに・・・・右肘痛は4ヶ月もたたずして完治した。
これこそケガの功名か・・・
いえいえ・・きっとカーブスのおかげ・・と自負する私は、今日も桜吹雪の中を金さんではなく、花粉症菌さんから身を守りつつ、完全防備でカーブスを目差して歩いている。