健康が自慢で元気!他にとりえのない私でしたが、H4年7月5日に突然乳がんの宣告を受け、苦しい闘病生活と術後、後遺症で10年間苦しみました。
「もう二度と病魔は受け付けない!」と決心はしたものの、またもやH27年11月28日脳梗塞となり入院。私がどうして、なんでと毎日不自由な体と言語障害で苦しい日々を迎えました。手、足がだんだん衰えて来て、掃除機を使用している時、1cmほどの敷居で転んでしまったり、洗濯物を干している間、足がもつれて転び起き上がれなくなり、まるで亀が空を向いてひっくり返ったようになり、全身の筋肉の衰えか支える力もなく中々起き上がる事もままならず、なにもかも、用心して行動がスローになっていく毎日。それに伴い年齢も70を過ぎると物忘れも多く、私の人生いったいどうなっていくのか恐怖で毎日気も心も落ち込み、スーパーに行くにも怖い。いつ転ぶか分からないと不安で外も歩かない。主人に「散歩にいこう」と誘われてもせいぜい2~3分、5分も歩くと帰って来れなくなりついには杖を購入しました。こんな生活が続いていたころ、以前体験でいった事があったカーブスに行ってみない?と友人に誘われました。ところが、マシンに乗る事すらできず、乗せても「うっ...」「もう駄目」と辞めた。マシンを3回程やっても何もできませんでした。コーチが「大丈夫、少しずつやればいいですよ」と明るく屈託のない笑顔で声をかけてくださったのですが「こんなマシンやらない、ダメ。カーブスも嫌」と思いました。
ところが、コーチの皆様の笑顔がとてもさわやかで「大丈夫、慣れたらできるようになります。気長に一緒にやりましょう」と言ってくれたことが心に残り、涙が出そうになりました。「そうだ!これぐらいのことをやらなければ体は弱っていく。何とかやってみよう」と思い、入会しました。入会して1回目の運動。感想は「ただ疲れた」それだけ。「明日は来るかわからんなー」と思い、カーブスを出る時、コーチが「恵子さん、お疲れ様でした!また明日お待ちしております!」と右手を高くあげて。笑顔満開で大きな声で。他のコーチ達も「恵子さんお疲れ様!」ってみんな笑顔で手を振っている姿にビックリ。「あー明日どうしよう、来ないつもりで今帰っているのに...」と思って車を走らせ家に帰りました。
翌朝、どうしようどうしようと考えてると自然にカーブスに来ていました。そして2回、3回、4回とためらいながらもカーブスに通っている私がいました。いつもいつも「恵子さんこんにちは!」とさわやかな元気な声が心地よく「来て良かった」と思う様になりました。相変わらず、マシンは3台か4台ぐらいしかできません。ですがいつも笑顔で「今日もがんばりましたね」と言われると「そうか、私は健康を取り戻すために頑張らなくては!」と回数を重ねるたび思う様になり、やがてマシンが半周になり、ゆっくりですが1周まわれるようになり、5ヶ月目から筋肉がついてきて、栄養ドリンクプラスで2周まわれるようになりました。その間、コーチのみなさんの気配りもあり私のあとをあけてくださったり、声掛けしてくださったり、近くまで来たときニコッと笑顔を見せて下さりその度に頑張ろう!と思いました。
2周まわれるようになったけれど、身も心もぐったりしてしまい、終わったあとは30分ぐらい休まないと帰れないのですが、そんな時はカーブスに通ってるメンバーさんが声をかけてくださり、あいさつするようになり、全く知らないメンバーさんなのに「あなた、元気になってよかったわね」と言われ、コーチだけでなくメンバーさんも見てくれていたと実感です。友人にも元気になったと言われるようになり、私も少し笑顔を取り戻したような気がします。カーブスに行けない日は家で筋肉を動かすことができるかというと、やっぱりひとりでは出来ません。主人も「カーブスは休んではいかんぞ」と応援してくれます。マシンで筋力運動も大切。でも、それ以上にコーチのみなさんの笑顔と励ましのおかげで元気を取り戻しつつあります。本当に感謝です。カーブスで心と体の健康。ありがとうございました。