娘の第一志望大学の合格発表の日。正午、インターネットでの発表を待つ・・・。こんなに一分一秒が、長く感じた日はありません。「お母さん!! 合格!!」涙が溢れます。娘と抱き合って喜びました。長い受験戦争、色々な思いが走馬灯のように駈け巡ります。テレビを見ながら大笑いする娘、なかなかエンジンのかからない娘を見て、腹を立てたこと。模試の結果は、いつまでもE判定、成績に伸び悩んだこと・・・。終わり良ければ、全て良し!! 今となっては、いい思い出になりました。本当に本当に、良く頑張りました。
そしてその日から、新生活に向けて忙しい日々、嬉しい悲鳴の日々が始まるはずでした。しかしその日を境に、私の身体に異変が起こり始めます。しんどい・・・倦怠感と脱力感で、身体が思うように動きません。熱がある訳でもなく、寝込む程でもないので病院にも行けず・・・。何故なのか、私の身体はどうなっているのか。そのうち外出するのも億劫になりました。そうは言っても、娘の新生活の準備をしなくてはなりません。重い身体を必死に動かし、慌ただしい日々が過ぎていきはした。そして迎えた、新生活への門出の日。何とか引越しも済ませて、娘を送り出してやりました。
そしてまた、その日を境に私の身体の異変は、更に悪化します。買い物をしていても、娘の好きだったお菓子を見つけると、『娘はもういないんだ・・・。もう買わなくてもいいんだ・・・。』とか今日は、娘の大好きだったハンバーグを作ろうと思っても、『もう娘はいないのに、どうしてハンバーグを作らなくてはいけないのか・・・。』等と考えたりしてしまいます。そんなことを考えていると、所構わず涙が溢れてきます。
とにかく身体が重い、外出するのが億劫、涙が止まらない・・・そんな中で唯一、カーブスに行かなきゃ!と思うことで、自分を保っていたような気がします。
それでも時は流れ、二ヶ月くらい経った頃でしょうか、日にち薬なのか少し症状が落ち着いた頃、近くに住む看護師さんに出会いました。「お久しぶり! 元気にしている?」「実は私、こんな状態だったのよ!」「あー!忙しくしていた人が、急にそれがなくなると、鬱になる人があるからね。気を付けてね。」そう言われて、初めて気が付きました。今まで、全て娘中心の生活だったのが、それがぷっつりと切れ、淋しさからくる精神的なものだったのかと。
精神的な病なんて、私には全く無縁だと思っていましたが、まさか自分がこんな状態になってしまうとは、想像も出来ませんでした。心の弱い人が罹るものだと思っていた病が、いつ、どこで、誰にでも起こり得るものだということも知りました。
2014年6月に腰椎椎間板ヘルニアと診断され、ある日突然歩くことが出来なくなり、緊急入院、緊急手術を余儀なくされ、以前の身体を取り戻す為、カーブスへ復帰した矢先の出来事でした。原因も分からず、ただ自分がそういう状態に陥っていくということは、本当に不安で、恐ろしいものでした。もし、カーブスに通っていなかったら・・・もしあのまま、家に閉じこもっていたら・・・私はどうなっていたのかと思うと恐ろしくなります。
今思えば、カーブスに行くことで、押し潰されそうなストレスを発散でき、娘がいなくなった淋しさを少しでも忘れることが出来たのだと思います。カーブスは、筋トレで身体を鍛えるだけでなく、精神的支えとして、いつのまにか私にとって欠かせないものとなっています。